淮南子 / 泰族訓
民無廉恥,不可治也;非修禮義,廉恥不立。民不知禮義,弗能正也;非崇善廢醜,不向禮義。無法不可以為治也;不知禮義,不可以行法。法能殺不孝者,而不能使人為孔、曾之行;法能刑竊盜者,而不能使人為伯夷之廉。
新字:民無廉恥,不可治也;非修礼義,廉恥不立。民不知礼義,弗能正也;非崇善廃醜,不向礼義。無法不可以為治也;不知礼義,不可以行法。法能殺不孝者,而不能使人為孔、曽之行;法能刑窃盗者,而不能使人為伯夷之廉。
書き下し
民に廉恥無ければ、治む可からざるなり。禮義を修むるに非ざれば、廉恥 立たず。民 禮義を知らざれば、正す能わざるなり。善を崇び醜を廢するに非ざれば、禮義に向かわず。法無くんば以て治を爲す可からざるなり。禮義を知らざれば、以て法を行う可からず。法は能く不孝なる者を殺すも、人をして孔・曾の行を爲さしむる能わず。法は能く竊盜する者を刑するも、人をして伯夷の廉を爲さしむる能わず。
現代語訳
民に恥を知る心がなければ、治めることはできない。礼義を修めなければ、恥を知る心は立たない。民が礼義を知らなければ、正すことはできない。善を尊び醜を退けるのでなければ、礼義に向かわない。法がなければ治めることはできない。礼義を知らなければ、法を行うことはできない。法は不孝な者を殺すことはできるが、人を孔子や曾子のような行いにすることはできない。法は盗みを働いた者を罰することはできるが、人を伯夷のような清廉にすることはできない。
解説
「法は能く不孝なる者を殺すも、人をして孔・曾の行を爲さしむる能わず」。法にできるのは、下限を切ることだけです。上を引き上げることはできない。だからといって法を軽んじてもいない。「法無くんば以て治を爲す可からざるなり」と、両方が必要だとはっきり書かれています。役割の違う二つを、どちらも欠かさない。役割の違う二つを、どちらも欠かさないという立場です。
この章句が説くこと
民に廉恥無ければ治む可からざるなり礼義を修むるに非ざれば廉恥立たず法無くんば以て治を為す可からざるなり礼義を知らざれば以て法を行う可からず法は能く不孝なる者を殺すも人をして孔・曽の行を為さしむる能わず法は能く竊盗する者を刑するも人をして伯夷の廉を為さしむる能わず法は能く窃盗する者を刑するも人をして伯夷の廉を為さしむる能わず善を崇び醜を廃するに非ざれば礼義に向かわず
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