淮南子 / 泰族訓
晉獻公欲伐虞,宮之奇存焉,為之寢不安席,食不甘味,而不敢加兵焉。賂以寶玉駿馬,宮之奇諫而不聽,言而不用,越疆而去,荀息伐之,兵不血刃,抱寶牽馬而去。故守不待渠塹而固,攻不待沖降而拔,得賢之與失賢也。
新字:晋献公欲伐虞,宮之奇存焉,為之寝不安席,食不甘味,而不敢加兵焉。賂以宝玉駿馬,宮之奇諫而不聴,言而不用,越疆而去,荀息伐之,兵不血刃,抱宝牽馬而去。故守不待渠塹而固,攻不待沖降而抜,得賢之与失賢也。
書き下し
晉の獻公 虞を伐たんと欲す。宮之奇 存すれば、之が爲に寢ぬるに席を安んぜず、食らうに味を甘しとせず、而も敢えて兵を加えず。賂うに寶玉駿馬を以てす。宮之奇 諫むるも聽かれず、言うも用いられず、疆を越えて去る。荀息 之を伐ち、兵 刃に血ぬらずして、寶を抱き馬を牽きて去る。故に守は渠塹を待たずして固く、攻は沖降を待たずして拔く。賢を得ると賢を失うとなり。
現代語訳
晋の献公が虞を伐とうとした。宮之奇がいるあいだは、そのために寝床も落ち着かず、食べても味がせず、あえて兵を出さなかった。宝玉と駿馬を贈った。宮之奇は諫めたが聞かれず、言っても用いられず、国境を越えて去った。荀息が伐つと、刃に血を塗ることもなく、贈った宝を抱き馬を牽いて帰った。守りは堀を掘らなくても固く、攻めは攻城具がなくても抜ける。賢者を得ているか、失っているかである。
解説
宮之奇が虞にいる、それだけで献公は眠れませんでした。実際に何かをしたわけではなく、いるという事実が抑止になっている。逆に、去った途端に城は無傷で落ちます。「守は渠塹を待たずして固く、攻は沖降を待たずして拔く」。防御の実体は、堀の深さではなく人でした。防御の実体は、堀の深さではなく人だったという話です。いるという事実だけで抑止になっていたのが要点になります。
この章句が説くこと
晉の献公虞を伐たんと欲す宮之奇存すれば之が為に寝ぬるに席を安んぜず晋の献公虞を伐たんと欲す宮之奇存すれば之が為に寝ぬるに席を安んぜず賂うに宝玉駿馬を以てす宮之奇諫むるも聴かれず言うも用いられず疆を越えて去る荀息之を伐ち兵刃に血ぬらずして宝を抱き馬を牽きて去る守は渠塹を待たずして固く攻は沖降を待たずして抜く賢を得ると賢を失うとなり
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