淮南子 / 泰族訓
故不言而信,不施而仁,不怒而威;是以天心動化者也。施而仁,言而信,怒而威;是以精誠感之者也。施而不仁,言而不信,怒而不威,是以外貌為之者也。故有道以統之,法雖少,足以化矣;無道以行之,法雖眾,足以亂矣。
新字:故不言而信,不施而仁,不怒而威;是以天心動化者也。施而仁,言而信,怒而威;是以精誠感之者也。施而不仁,言而不信,怒而不威,是以外貌為之者也。故有道以統之,法雖少,足以化矣;無道以行之,法雖衆,足以乱矣。
書き下し
故に言わずして信ぜられ、施さずして仁、怒らずして威あるは、是れ天心を以て動化する者なり。施して仁、言いて信ぜられ、怒りて威あるは、是れ精誠を以て之を感ぜしむる者なり。施して仁ならず、言いて信ぜられず、怒りて威あらざるは、是れ外貌を以て之を爲す者なり。故に道有りて以て之を統ぶれば、法 少なしと雖も、以て化するに足る。道無くして以て之を行えば、法 眾しと雖も、以て亂るるに足る。
現代語訳
言わなくても信じられ、施さなくても仁とされ、怒らなくても威があるのは、天の心をもって動かし変える者である。施して仁とされ、言って信じられ、怒って威があるのは、まごころで感じさせている者である。施しても仁とされず、言っても信じられず、怒っても威がないのは、見かけだけでやっている者である。だから、道があってそれを統べていれば、法は少なくても感化するに足りる。道がないままそれを行えば、法が多くても乱れるに足りる。
解説
三段階で並べられます。何もしなくても伝わる人、行いで伝わる人、行っても伝わらない人。三つ目の「外貌を以て之を爲す者」が痛い。同じことをしているのに、なぜか効かない。効かないのは中身が伴っていないからだ、と。締めの一句は、この篇全体の結論に近い。「道有りて以て之を統ぶれば、法 少なしと雖も、以て化するに足る」。
この章句が説くこと
言わずして信ぜられ施さずして仁怒らずして威あるは是れ天心を以て動化する者なり施して仁言いて信ぜられ怒りて威あるは是れ精誠を以て之を感ぜしむる者なり施して仁ならず言いて信ぜられず怒りて威あらざるは是れ外貌を以て之を為す者なり道有りて以て之を統ぶれば法少なしと雖も以て化するに足る道無くして以て之を行えば法眾しと雖も以て乱るるに足る道無くして以て之を行えば法衆しと雖も以て乱るるに足る
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