淮南子 / 泰族訓
故法者,治之具也,而非所以為治也,而猶弓矢,中之具,而非所以為中也。黃帝曰:「芒芒昧昧,因天之威,與元同氣。」故同氣者帝,同義者王,同力者霸,無一焉者亡。故人主有伐國之志,邑犬群嗥,雄雞夜鳴,庫兵動而戎馬驚。今日解怨偃兵,家老甘臥,巷無聚人,妖菑不生,非法之應也,精氣之動也。
新字:故法者,治之具也,而非所以為治也,而猶弓矢,中之具,而非所以為中也。黄帝曰:「芒芒昧昧,因天之威,与元同気。」故同気者帝,同義者王,同力者覇,無一焉者亡。故人主有伐国之志,邑犬群嗥,雄雞夜鳴,庫兵動而戎馬驚。今日解怨偃兵,家老甘臥,巷無聚人,妖菑不生,非法之応也,精気之動也。
書き下し
故に法なる者は、治の具なり。而れども治を爲す所以に非ざるなり。猶お弓矢の、中つるの具にして、中つるを爲す所以に非ざるがごとし。黃帝曰く「芒芒昧昧、天の威に因り、元と氣を同じくす」と。故に氣を同じくする者は帝たり、義を同じくする者は王たり、力を同じくする者は霸たり、一も無き者は亡ぶ。故に人主に國を伐つの志有れば、邑犬 群嗥し、雄雞 夜鳴し、庫兵 動きて戎馬 驚く。今日 怨を解き兵を偃せば、家老 甘臥し、巷に人を聚むる無く、妖菑 生ぜず。法の應に非ざるなり。精氣の動なり。
現代語訳
法は治めるための道具である。それ自体が治めることではない。弓矢が的に中てるための道具であって、それ自体が中てることではないのと同じである。黄帝は言った。「茫漠として捉えがたく、天の威に従い、根源と気を同じくする」。気を同じくする者は帝となり、義を同じくする者は王となり、力を同じくする者は覇者となり、どれ一つ持たない者は滅びる。君主に他国を伐つ意志があれば、村の犬が群れて吠え、雄鶏が夜に鳴き、武器庫の武具が動いて軍馬が驚く。今日、怨みを解いて兵を収めれば、家の年寄りは安らかに眠り、路地に人だかりはできず、怪しい災いも起こらない。法が応じたのではない。気が動いたのである。
解説
「法なる者は、治の具なり。而れども治を爲す所以に非ざるなり」。弓矢は的に中てる道具だが、弓矢そのものが中てるのではない。法についても同じで、道具の精度を上げることと治まることは別だ、という区別です。後半の描写が印象に残ります。君主が戦を思うだけで、犬が吠え鶏が夜鳴きする。上の気配は、命令より先に伝わっています。
この章句が説くこと
法なる者は治の具なり而れども治を為す所以に非ざるなり猶お弓矢の中つるの具にして中つるを為す所以に非ざるがごとし気を同じくする者は帝たり義を同じくする者は王たり力を同じくする者は覇たり人主に国を伐つの志有れば邑犬群嗥し雄雞夜鳴す法の応に非ざるなり精気の動なり法
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