淮南子 / 泰族訓
王喬、赤松,去塵埃之間,離群慝之紛,吸陰陽之和,食天地之精,呼而出故,吸而入新,虛輕舉,乘雲遊霧,可謂養性矣,而未可謂孝子也。周公誅管叔、蔡叔,以平國弭亂,可謂忠臣也,而未可謂弟也。湯放桀,武王伐紂,以為天下去殘除賊,可謂惠君,而未可謂忠臣矣。樂羊攻中山未能下,中山烹其子,而食之以示威,可謂良將,而未可謂慈父也。
新字:王喬、赤松,去塵埃之間,離群慝之紛,吸陰陽之和,食天地之精,呼而出故,吸而入新,虚軽舉,乗雲遊霧,可謂養性矣,而未可謂孝子也。周公誅管叔、蔡叔,以平国弭乱,可謂忠臣也,而未可謂弟也。湯放桀,武王伐紂,以為天下去残除賊,可謂恵君,而未可謂忠臣矣。楽羊攻中山未能下,中山烹其子,而食之以示威,可謂良将,而未可謂慈父也。
書き下し
王喬・赤松は、塵埃の間を去り、群慝の紛を離れ、陰陽の和を吸い、天地の精を食らい、呼きて故きを出だし、吸いて新しきを入れ、虛にして輕く舉がり、雲に乘り霧に遊ぶ。性を養うと謂う可きも、未だ孝子と謂う可からざるなり。周公 管叔・蔡叔を誅し、以て國を平らげ亂を弭むるは、忠臣と謂う可きも、未だ弟と謂う可からざるなり。湯 桀を放ち、武王 紂を伐ち、以て天下の爲に殘を去り賊を除くは、惠君と謂う可きも、未だ忠臣と謂う可からざるなり。樂羊 中山を攻めて未だ下す能わず。中山 其の子を烹て、之を食らわしめて以て威を示す。良將と謂う可きも、未だ慈父と謂う可からざるなり。
現代語訳
王喬や赤松子は、塵の世を離れ、群がる悪の紛れを離れ、陰陽の和を吸い、天地の精を食らい、吐いて古い気を出し、吸って新しい気を入れ、身を虚しくして軽やかに舞い上がり、雲に乗り霧に遊んだ。性を養ったとは言えるが、孝子とは言えない。周公は管叔と蔡叔を誅して国を平らげ乱を鎮めた。忠臣とは言えるが、よい弟とは言えない。湯王は桀を追放し、武王は紂を伐って、天下のために残虐な者を除いた。恵み深い君主とは言えるが、忠実な臣とは言えない。楽羊は中山を攻めて落とせず、中山は彼の子を煮て食べさせ、威を示した。良い将軍とは言えるが、慈しみ深い父とは言えない。
解説
四つとも、片方を立てれば片方が立たない例です。仙人は孝子ではなく、周公は弟としては失格で、湯武は臣としては筋を欠き、楽羊は父としては非情でした。前段の「一概を取るのみ」がここで効いてきます。誰かを称えるとき、全部が丸ごと立派なわけではない。称える側が、どの一点かを分かって言う必要があります。
この章句が説くこと
王喬・赤松は塵埃の間を去り陰陽の和を吸い天地の精を食らう性を養うと謂う可きも未だ孝子と謂う可からざるなり周公管叔・蔡叔を誅し以て国を平らげ乱を弭むるは忠臣と謂う可きも未だ弟と謂う可からざるなり湯桀を放ち武王紂を伐つは恵君と謂う可きも未だ忠臣と謂う可からざるなり楽羊良将と謂う可きも未だ慈父と謂う可からざるなり両立
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