淮南子 / 泰族訓
《關睢》興於鳥,而君子美之,為其雌雄之不乖居也;《鹿鳴》興于獸,君子大之,取其見食而相呼也;泓之戰,軍敗君獲,而《春秋》大之,取其不鼓不成列也;宋伯姬坐燒而死,《春秋》大之,取其不逾禮而行也。成功立事,豈足多哉!方指所言而取一概焉爾。
新字:《関睢》興於鳥,而君子美之,為其雌雄之不乖居也;《鹿鳴》興于獣,君子大之,取其見食而相呼也;泓之戦,軍敗君獲,而《春秋》大之,取其不鼓不成列也;宋伯姬坐焼而死,《春秋》大之,取其不逾礼而行也。成功立事,豈足多哉!方指所言而取一概焉爾。
書き下し
關睢は鳥に興りて、君子 之を美とするは、其の雌雄の乖居せざるが爲なり。鹿鳴は獸に興りて、君子 之を大とするは、其の食を見て相い呼ぶを取ればなり。泓の戰いは、軍 敗れ君 獲らるるも、春秋 之を大とするは、其の鼓せず列を成さざるを取ればなり。宋の伯姬 坐ながら燒けて死するも、春秋 之を大とするは、其の禮を逾えずして行うを取ればなり。功を成し事を立つるは、豈に多とするに足らんや。方に指す所を言いて一概を取るのみ。
現代語訳
関睢の詩は鳥に寄せて起こされ、君子がこれを美しいとするのは、雌雄が離れて住まないからである。鹿鳴の詩は獣に寄せて起こされ、君子がこれを大きいとするのは、餌を見つけると仲間を呼び合うところを取ったからである。泓の戦いは、軍が敗れ君主が捕らえられたのに、春秋がこれを大きいとするのは、陣の整わない敵に太鼓を打たなかったところを取ったからである。宋の伯姫は座したまま焼け死んだが、春秋がこれを大きいとするのは、礼を越えずに振る舞ったところを取ったからである。功を成し事を立てることが、それほど誉めるに足るだろうか。ただ、その一点を指して取り上げているだけである。
解説
鳥や獣を誉めているのではなく、「離れて住まない」「呼び合う」という一点だけを取っている。泓の戦いも、負け戦を称えているのではなく、その一場面を取り出しています。「方に指す所を言いて一概を取るのみ」——古典が誰かを称えるとき、その人の全部を認めているわけではない、という読み方の注意です。
この章句が説くこと
関睢は鳥に興りて君子之を美とするは其の雌雄の乖居せざるが為なり鹿鳴は獣に興りて其の食を見て相い呼ぶを取ればなり泓の戦いは軍敗れ君獲らるるも春秋之を大とするは其の鼓せず列を成さざるを取ればなり宋の伯姬坐ながら焼けて死するも其の礼を逾えずして行うを取ればなり功を成し事を立つるは豈に多とするに足らんや方に指す所を言いて一概を取るのみ評価
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