淮南子 / 泰族訓
湯之初作囿也,以奉宗廟鮮犞之具,簡士卒,習射禦,以戒不虞;及至其衰也,馳騁獵射,以奪民時,疲民之力。堯之舉禹、契、后稷、皋陶,政教平,奸宄息,獄訟止而衣食足,賢者勸善而不肖者懷其德;及至其末,朋黨比周,各推其與,廢公趨私,內外相推舉,奸人在朝,而賢者隱處。
新字:湯之初作囿也,以奉宗廟鮮犞之具,簡士卒,習射禦,以戒不虞;及至其衰也,馳騁猟射,以奪民時,疲民之力。堯之舉禹、契、后稷、皋陶,政教平,奸宄息,獄訟止而衣食足,賢者勧善而不肖者懐其徳;及至其末,朋党比周,各推其与,廃公趨私,内外相推舉,奸人在朝,而賢者隠処。
書き下し
湯の初めて囿を作るや、以て宗廟鮮犞の具を奉じ、士卒を簡び、射禦を習わしめ、以て不虞に戒む。其の衰うるに至るに及びては、馳騁獵射して、以て民の時を奪い、民の力を疲れしむ。堯の禹・契・后稷・皋陶を舉ぐるや、政教 平らかに、奸宄 息み、獄訟 止みて衣食 足り、賢者は善を勸め不肖者も其の德を懷う。其の末に至るに及びては、朋黨 比周し、各々其の與を推し、公を廢して私に趨り、內外 相い推舉し、奸人 朝に在りて、賢者 隱處す。
現代語訳
湯王がはじめて囿を作ったのは、宗廟に供える生贄を整え、兵を選び、射と御を習わせて、不測の事態に備えるためだった。それが衰えると、馬を走らせ狩りをして、民の時を奪い、民の力を疲れさせるものになった。堯が禹・契・后稷・皋陶を挙げたときは、政と教えは平らかで、悪事はやみ、訴訟はなくなり衣食は足り、賢者は善を勧め、劣った者もその徳を慕った。それが末になると、徒党を組んで馴れ合い、それぞれ自分の身内を推し、公を捨てて私に走り、内と外で推挙し合い、悪しき者が朝廷にいて、賢者は隠れて出なくなった。
解説
前段の続きで、今度は制度と人事です。囿は備えの場として作られ、いつのまにか民の時間を奪う遊猟の場になった。人事も同じで、堯の登用は行き届いていたのに、末には推挙が身内の融通に変わります。「內外 相い推舉し、奸人 朝に在りて、賢者 隱處す」。仕組みは同じまま、中身だけが入れ替わる。
この章句が説くこと
湯の初めて囿を作るや士卒を簡び射禦を習わしめ以て不虞に戒む其の衰うるに至るに及びては馳騁猟射して以て民の時を奪い民の力を疲れしむ堯の禹・契・后稷・皋陶を舉ぐるや政教平らかに奸宄息み獄訟止みて衣食足る其の末に至るに及びては朋党比周し各々其の与を推す公を廃して私に趨り奸人朝に在りて賢者隠処す人事
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