淮南子 / 泰族訓
太王亶父處邠,狄人攻之,杖策而去。百姓攜幼扶老,負釜甑,逾梁山,而國乎岐周,非令之所能召也。秦穆公為野人食駿馬肉之傷也,飲之美酒,韓之戰,以其死力報,非券之所責也。密子治亶父,巫馬期往觀化焉,見夜漁者,得小即釋之,非刑之所能禁也。孔子為魯司寇,道不拾遺,市買不豫賈,田漁皆讓長,而斑白不戴負,非法之所能致也。
新字:太王亶父処邠,狄人攻之,杖策而去。百姓攜幼扶老,負釜甑,逾梁山,而国乎岐周,非令之所能召也。秦穆公為野人食駿馬肉之傷也,飲之美酒,韓之戦,以其死力報,非券之所責也。密子治亶父,巫馬期往観化焉,見夜漁者,得小即釈之,非刑之所能禁也。孔子為魯司寇,道不拾遺,市買不予賈,田漁皆譲長,而斑白不戴負,非法之所能致也。
書き下し
太王亶父 邠に處る。狄人 之を攻む。策を杖きて去る。百姓 幼を攜え老を扶け、釜甑を負い、梁山を逾えて、岐周に國す。令の能く召く所に非ざるなり。秦の穆公 野人の駿馬の肉を食らいて傷つくが爲に、之に美酒を飲ましむ。韓の戰いに、其の死力を以て報ゆ。券の責むる所に非ざるなり。密子 亶父を治む。巫馬期 往きて化を觀る。夜 漁する者を見るに、小を得れば即ち之を釋つ。刑の能く禁ずる所に非ざるなり。孔子 魯の司寇と爲るや、道に遺ちたるを拾わず、市買 賈を豫らず、田漁 皆な長に讓り、斑白 戴負せず。法の能く致す所に非ざるなり。
現代語訳
太王亶父が邠に住んでいた。狄の人が攻めてきた。太王は杖をついて立ち去った。民は幼子の手を引き老人を支え、釜や甑を背負い、梁山を越えて、岐周に国を立てた。命令で呼び寄せられたのではない。秦の穆公は、野の人が駿馬の肉を食べて体を害するのを案じ、美酒を飲ませた。韓の戦いで、彼らは死力を尽くして報いた。証文で求めたのではない。宓子賤が亶父を治めた。巫馬期が行って治まりようを見た。夜に漁をしている者を見ると、小さい魚がかかればすぐ放していた。刑罰で禁じられたのではない。孔子が魯の司寇となると、道に落ちているものを拾わず、市場では値をつり上げず、狩りや漁では年長者に譲り、白髪の者が荷を担がされることもなかった。法で実現したのではない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
尚書・蔡仲之命皇天は親しむ無く、惟れ德を是れ輔く。民心は常無く、惟れ惠を之れ懷く。
-
呂氏春秋・處方⑤今、人此に有り、擅に行いを矯めば則ち國家を免れしめ、輕重を利すれば則ち衡石の如く、方圜を為せば則ち規矩の若くす。此れ則ち工なり巧なり。而れども法るに足らず。法なる者は、衆の同じくする所なり。賢不肖の其の力を以うる所なり。謀の用う可からざるに出で、事同じくす可からざるに出づるは、此れ先王の舍つる所なり。
-
孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
-
『塩鉄論』世務篇文學曰く、昔、齊の桓公は內に百姓を附け、外に諸侯を綏んじ、亡を存し絕を接ぐ。而して天下風に從う。其の後、德虧け行い衰う。葵丘の會、振いて之を矜る。叛く者九國。春秋は其の德を崇ばずして力を崇ぶを刺る。故に德に任ずれば、則ち強楚も服を告げ、遠國も召さずして自ら至る。力に任ずれば、則ち近き者も親しまず、小國も附かず。此れ其の效なり。誠に上は三王の昌んなる所以を觀、下は秦の亡ぶ所以を論じ、中は齊桓の興る所以を述べ、武を去りて文を行い、力を廢して德を尚び、關梁を罷め、障塞を除き、仁義を以て之を導かば、則ち北垂に寇虜の憂い無く、中國に干戈の事無からん。
-
論語・為政篇子曰く、之を道びくに政を以てし、之を斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道びくに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有り且つ格(いた)る。
-
論語・為政篇子曰く、政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰其の所に居て衆星之に共(むか)うが如し。