淮南子 / 脩務訓
是故生木之長,莫見其益,有時而修;砥礪靡堅,莫見其損,有時而薄。藜藿之生,蠕蠕然日加數寸,不可以為櫨棟;楩楠豫章之生也,七年而後知,故可以為棺舟。夫事有易成者名小,難成者功大。君子修美,雖未有利,福將在後至。故《詩》雲:「日就月將,學有緝熙于光明。」此之謂也。
新字:是故生木之長,莫見其益,有時而修;砥礪靡堅,莫見其損,有時而薄。藜藿之生,蠕蠕然日加数寸,不可以為櫨棟;楩楠予章之生也,七年而後知,故可以為棺舟。夫事有易成者名小,難成者功大。君子修美,雖未有利,福将在後至。故《詩》雲:「日就月将,学有緝熙于光明。」此之謂也。
書き下し
是の故に生木の長ずるは、其の益すを見る莫きも、時有りて修し。砥礪の堅を靡るは、其の損ずるを見る莫きも、時有りて薄し。藜藿の生ずるや、蠕蠕然として日に數寸を加うるも、以て櫨棟と爲す可からず。楩楠豫章の生ずるや、七年にして而る後に知る。故に以て棺舟と爲す可し。夫れ事に成り易き者有れば名 小さく、成り難き者は功 大なり。君子 美を修むるは、未だ利有らずと雖も、福 將に後に在りて至らんとす。故に詩に云う「日に就き月に將み、學 緝熙して光明に于る」と。此れの謂いなり。
現代語訳
生きた木が伸びるのは、増えていくのが見えないが、時が経てば長くなっている。砥石が堅いものを削るのは、減っていくのが見えないが、時が経てば薄くなっている。藜や豆の葉は、もぞもぞと日に数寸も伸びるが、それで棟木にはできない。楩や楠や豫章は、七年たってはじめてそれと分かる。だから棺や舟にできる。事には、成しやすいものは名が小さく、成しがたいものは功が大きい。君子が美を修めるのは、まだ利がなくても、福は後になって来る。だから詩に「日に進み月に歩み、学は明るさを重ねて光明に至る」とある。このことである。
解説
この章句が説くこと
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