淮南子 / 脩務訓
故夫孿子之相似者,唯其母能知之;玉石之相類者,唯良工能識之;書傳之微者,惟聖人能論之。今取新聖人書,名之孔、墨,則弟子句指而受者必眾矣。故美人者,非必西施之種;通士者,不必孔、墨之類。曉然意有所通於物,故作書以喻意,以為知者也。誠得清明之士,執玄鑒於心,照物明白,不為古今易意,攄書明指以示之,雖闔棺亦不恨矣。
新字:故夫孿子之相似者,唯其母能知之;玉石之相類者,唯良工能識之;書伝之微者,惟聖人能論之。今取新聖人書,名之孔、墨,則弟子句指而受者必眾矣。故美人者,非必西施之種;通士者,不必孔、墨之類。暁然意有所通於物,故作書以喻意,以為知者也。誠得清明之士,執玄鑒於心,照物明白,不為古今易意,攄書明指以示之,雖闔棺亦不恨矣。
書き下し
故に夫れ孿子の相い似たる者は、唯だ其の母のみ能く之を知る。玉石の相い類する者は、唯だ良工のみ能く之を識る。書傳の微なる者は、惟だ聖人のみ能く之を論ず。今 新たに聖人の書を取り、之を孔・墨に名づけば、則ち弟子 指を句げて受くる者 必ず眾からん。故に美人なる者は、必ずしも西施の種に非ず。通士なる者は、必ずしも孔・墨の類に非ず。曉然として意 物に通ずる所有り。故に書を作りて以て意を喻し、以て知る者と爲すなり。誠に清明の士、玄鑒を心に執り、物を照らして明白、古今の爲に意を易えざるを得ば、書を攄べ指を明らかにして以て之に示さば、棺を闔ずと雖も亦た恨みざらん。
現代語訳
そっくりな双子を見分けられるのは、その母だけである。似た玉と石を見分けられるのは、腕のよい職人だけである。書物の微妙なところを論じられるのは、聖人だけである。いま新しく聖人の書を持ってきて、それに孔子や墨子の名をつければ、弟子たちが指を折って受け取る者は必ず多いだろう。美しい人は、必ずしも西施の血筋ではない。物に通じた士は、必ずしも孔子や墨子の系統ではない。はっきりと、その意が物に通じているのである。だから書を作って意を伝え、分かる人に届けようとする。まことに清く明るい士が、心に鏡を持ち、物を照らして明らかに見、古いか新しいかで判断を変えないでいてくれるなら、書を並べて趣旨を明らかにして示せば、棺の蓋を閉じても悔いはない。
解説
この章句が説くこと
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