淮南子 / 脩務訓
今劍或絕側羸文,齧缺卷銋,而稱以頂襄之劍,則貴人爭帶之;琴或撥刺枉橈,闊解漏越,而稱為楚莊之琴,側室爭鼓之。苗山之鋋,羊頭之銷,雖水斷龍舟,陸剸兕甲,莫之服帶。山桐之琴,澗梓之腹,雖鳴廉修營,唐牙莫之鼓也。
新字:今剣或絶側羸文,齧欠巻銋,而称以頂襄之剣,則貴人争帯之;琴或撥刺枉橈,闊解漏越,而称為楚荘之琴,側室争鼓之。苗山之鋋,羊頭之銷,雖水断竜舟,陸剸兕甲,莫之服帯。山桐之琴,澗梓之腹,雖鳴廉修営,唐牙莫之鼓也。
書き下し
今 劍 或いは絕側羸文、齧缺卷銋なるも、稱するに頂襄の劍を以てすれば、則ち貴人 爭いて之を帶ぶ。琴 或いは撥刺枉橈、闊解漏越なるも、稱して楚莊の琴と爲せば、側室 爭いて之を鼓す。苗山の鋋、羊頭の銷は、水に龍舟を斷ち、陸に兕甲を剸ると雖も、之を服帶する莫し。山桐の琴、澗梓の腹は、鳴廉修營すと雖も、唐牙も之を鼓する莫きなり。
現代語訳
いま、縁が欠け模様も貧しく、刃こぼれして反り返った剣でも、頂襄の剣だと称すれば、貴人が争って腰に帯びる。撥ねが引っかかり歪んでいて、造りが緩く音が漏れる琴でも、楚の荘王の琴だと称すれば、側室たちが争って弾く。苗山の鋋や羊頭の刃は、水では龍舟を断ち陸では兕の甲を切り裂くのに、腰に帯びる者がいない。山の桐で作った琴、谷の梓を刳った胴は、澄んだよい音を出すのに、名手の唐牙でさえ弾こうとしない。
解説
刃こぼれの剣に高名な名前をつければ争って帯び、切れる刀は名前がないので誰も持たない。琴でも同じことが起きます。前章の「猿の羹」「李奇の曲」に続いて、名前だけで判断する例が三つ目、四つ目と重ねられていきます。ここまで並べられると、笑い話には見えなくなります。
この章句が説くこと
剣或いは絶側羸文齧欠巻銋なるも称するに頂襄の剣を以てすれば則ち貴人争いて之を帯ぶ琴或いは撥刺枉橈闊解漏越なるも称して楚荘の琴と為せば側室争いて之を鼓す苗山の鋋羊頭の銷は水に竜舟を断ち陸に兕甲を剸ると雖も之を服帯する莫し山桐の琴澗梓の腹は鳴廉修営すと雖も唐牙も之を鼓する莫きなり銘柄実質
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