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淮南子 / 脩務訓

楚國有烹猴而召其鄰人,以為狗羹也,而甘之。後聞其猴也,據地而吐之,盡寫其食。此未始知味者也。邯鄲師有出新曲者,讬之李奇,諸人皆爭學之。後知其非也,而皆棄其曲,此未始知音者也。鄙人有得玉璞者,喜其狀,以為寶而藏之。以示人,人以為石也,因而棄之。此未始知玉者也。故有符於中,則貴是而同今古;無以聽其說,則所從來者遠而貴之耳。此和氏之所以泣血于荊山之下。

新字:楚国有烹猴而召其鄰人,以為狗羹也,而甘之。後聞其猴也,拠地而吐之,尽写其食。此未始知味者也。邯鄲師有出新曲者,讬之李奇,諸人皆争学之。後知其非也,而皆棄其曲,此未始知音者也。鄙人有得玉璞者,喜其状,以為宝而蔵之。以示人,人以為石也,因而棄之。此未始知玉者也。故有符於中,則貴是而同今古;無以聴其説,則所従来者遠而貴之耳。此和氏之所以泣血于荊山之下。

書き下し

楚國に猴を烹て其の鄰人を召す者有り。以て狗羹と爲して之を甘しとす。後に其の猴なるを聞き、地に據りて之を吐き、盡く其の食を寫す。此れ未だ始めより味を知らざる者なり。邯鄲の師に新曲を出だす者有り。之を李奇に讬すれば、諸人 皆な爭いて之を學ぶ。後に其の非なるを知りて、皆な其の曲を棄つ。此れ未だ始めより音を知らざる者なり。鄙人に玉璞を得る者有り。其の狀を喜び、以て寶と爲して之を藏す。以て人に示すに、人 以て石と爲す。因りて之を棄つ。此れ未だ始めより玉を知らざる者なり。故に中に符する有らば、則ち是を貴びて今古を同じくす。以て其の說を聽く無くんば、則ち從りて來たる所の者 遠くして之を貴ぶのみ。此れ和氏の血を荊山の下に泣きし所以なり。

現代語訳

楚に猿を煮て隣人を招いた者がいた。隣人は犬の羹だと思ってうまいと食べた。後で猿だと聞いて、地に手をついて吐き、食べたものを残らず戻した。これははじめから味が分かっていなかった者である。邯鄲の楽師に新しい曲を作った者がいた。それを李奇の作だと言うと、人々は争って習った。後で違うと知って、みなその曲を捨てた。これははじめから音が分かっていなかった者である。田舎の人が玉の原石を手に入れた。その姿を喜び、宝として蔵に納めた。人に見せると、石だと言われた。それで捨ててしまった。これははじめから玉が分かっていなかった者である。心の中に照らし合わせるものがあれば、正しいものを貴んで、今も昔も同じように扱う。その説を自分で聞き分けられなければ、出どころが遠いというだけで貴ぶだけである。これが和氏が荊山のふもとで血の涙を流した理由である。

解説

三つとも、味も音も玉も、対象は一度も変わっていません。変わったのは肩書きと評判だけ。「中に符する有らば、則ち是を貴びて今古を同じくす」——自分の中に照らす基準があれば、誰の作かで態度は変わらない。和氏の璧の話で締められます。本物を差し出して、二度も足を切られた人の涙です。

この章句が説くこと

楚国に猴を烹て其の鄰人を召す者有り以て狗羹と為して之を甘しとす後に其の猴なるを聞き地に拠りて之を吐く此れ未だ始めより味を知らざる者なり之を李奇に讬すれば諸人皆な争いて之を学ぶ鄙人玉璞を人に示すに人以て石と為す因りて之を棄つ中に符する有らば則ち是を貴びて今古を同じくす基準

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