淮南子 / 脩務訓
昔者,謝子見於秦惠王,惠王說之,以問唐姑梁,唐姑梁曰:「謝子,山東辯士,固權說以取少主。」惠王因藏怒而待之。後日複見,逆而弗聽也。非其說異也,所以聽者易。夫以徵為羽,非弦之罪;以苦為甘,非味之過。
新字:昔者,謝子見於秦恵王,恵王説之,以問唐姑梁,唐姑梁曰:「謝子,山東弁士,固権説以取少主。」恵王因蔵怒而待之。後日複見,逆而弗聴也。非其説異也,所以聴者易。夫以徴為羽,非弦之罪;以苦為甘,非味之過。
書き下し
昔者、謝子 秦の惠王に見ゆ。惠王 之を說び、以て唐姑梁に問う。唐姑梁曰く「謝子は、山東の辯士なり。固より權說して以て少主を取らんとす」と。惠王 因りて怒りを藏して之を待つ。後日 復た見ゆるも、逆いて聽かざるなり。其の說の異なるに非ず。聽く所以の者 易わればなり。夫れ徵を以て羽と爲すは、弦の罪に非ず。苦を以て甘と爲すは、味の過ちに非ず。
現代語訳
昔、謝子が秦の恵王に会った。恵王は気に入って、唐姑梁に尋ねた。唐姑梁は言った。「謝子は山東の弁士です。もとより言葉を操って若い君主を取り込もうとしているのです」。恵王はそれで怒りを胸に隠して待った。後日また会ったが、逆らって聞き入れなかった。説の中身が変わったのではない。聞く側が変わったのである。徴の音を羽の音と取り違えるのは、弦の罪ではない。苦いものを甘いと取るのは、味の落ち度ではない。
解説
同じ人が同じことを言い、一度目は喜ばれ、二度目は退けられました。あいだに入ったのは、たった一言の評です。「其の說の異なるに非ず。聽く所以の者 易わればなり」。音を取り違えるのは弦のせいではなく、味を取り違えるのは料理のせいではない。評価が変わったとき、変わったのはたいてい受け手の側です。評価が変わったとき、変わったのはたいてい受け手の側です。
この章句が説くこと
謝子秦の恵王に見ゆ恵王之を説ぶ謝子は山東の弁士なり固より権説して以て少主を取らんとす恵王因りて怒りを蔵して之を待つ後日復た見ゆるも逆いて聴かざるなり其の説の異なるに非ず聴く所以の者易わればなり徴を以て羽と為すは弦の罪に非ず苦を以て甘と為すは味の過ちに非ず先入観
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