淮南子 / 脩務訓
夫無規矩,雖奚仲不能以定方圓;無準繩,雖魯般不能定曲直。是故鍾子期死而伯牙絕弦破琴,知世莫賞也;惠施死而莊子寢說言,見世莫可為語者也。夫項讬七歲為孔子師,孔子有以聽其言也。以年之少,為閭丈人說,救敲不給,何道之能明也?
新字:夫無規矩,雖奚仲不能以定方円;無準縄,雖魯般不能定曲直。是故鍾子期死而伯牙絶弦破琴,知世莫賞也;恵施死而荘子寝説言,見世莫可為語者也。夫項讬七歳為孔子師,孔子有以聴其言也。以年之少,為閭丈人説,救敲不給,何道之能明也?
書き下し
夫れ規矩無くんば、奚仲と雖も以て方圓を定むる能わず。準繩無くんば、魯般と雖も曲直を定むる能わず。是の故に鍾子期 死して伯牙 弦を絕ち琴を破るは、世に賞する莫きを知ればなり。惠施 死して莊子 說言を寢むるは、世に與に語る可き者莫きを見ればなり。夫れ項讬 七歲にして孔子の師と爲るは、孔子 以て其の言を聽くこと有ればなり。年の少なきを以て、閭の丈人の爲に說かば、敲を救うに給わず。何の道か能く明らかにせん。
現代語訳
コンパスと定規がなければ、奚仲でも方円を定められない。水盛りと墨縄がなければ、魯般でも曲直を定められない。だから鍾子期が死ぬと、伯牙は弦を断ち琴を壊した。聴いて分かる者が世にいないと知ったからである。恵施が死ぬと、荘子は説くのをやめた。ともに語れる相手が世にいないと見たからである。項託は七歳で孔子の師となったが、それは孔子に、その言葉を聞くだけのものがあったからである。もし年が若いというだけで、村の年寄りたちに説いたなら、打たれるのを防ぐだけで手いっぱいだっただろう。どうして道を明らかにできようか。
解説
「其の言を聽くこと有ればなり」。七歳の子が孔子の師になれたのは、孔子が聞ける人だったからです。同じ言葉を村の年寄りに言えば、打たれて終わる。伯牙と荘子は逆で、聞ける相手を失ったとき、演奏と論をやめました。良い中身があるだけでは足りず、受け手のほうに定規が要る、という一段です。
この章句が説くこと
規矩無くんば奚仲と雖も以て方円を定むる能わず準縄無くんば魯般と雖も曲直を定むる能わず鍾子期死して伯牙弦を絶ち琴を破るは世に賞する莫きを知ればなり恵施死して荘子説言を寝むるは世に与に語る可き者莫きを見ればなり項讬七歳にして孔子の師と為るは孔子以て其の言を聴くこと有ればなり年の少なきを以て閭の丈人の為に説かば敲を救うに給わず聞き手
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