淮南子 / 脩務訓
曰:「吳為封豨修蛇,蠶食上國,虐始于楚。寡君失社稷,越在草茅,百姓離散,夫婦男女,不遑啟處,使下臣告急。」秦王乃發車千乘,步卒七萬,屬之子虎,逾塞而東,擊吳濁水之上,果大破之,以存楚國。烈藏廟堂,著於憲法。此功之可強成者也。
新字:曰:「吳為封豨修蛇,蠶食上国,虐始于楚。寡君失社稷,越在草茅,百姓離散,夫婦男女,不遑啟処,使下臣告急。」秦王乃発車千乗,歩卒七万,属之子虎,逾塞而東,擊吳濁水之上,果大破之,以存楚国。烈蔵廟堂,著於憲法。此功之可強成者也。
書き下し
曰く「吳は封豨修蛇と爲り、上國を蠶食す。虐 楚に始まる。寡君 社稷を失い、越えて草茅に在り。百姓 離散し、夫婦男女、啟處するに遑あらず。下臣をして急を告げしむ」と。秦王 乃ち車千乘、步卒七萬を發し、之を子虎に屬し、塞を逾えて東し、吳を濁水の上に擊ち、果たして大いに之を破り、以て楚國を存す。烈は廟堂に藏められ、憲法に著る。此れ功の強めて成す可き者なり。
現代語訳
こう言った。「呉は大猪や大蛇のようになって、中原の国々を食い荒らしております。その暴虐は楚から始まりました。我が君は社稷を失い、草むらに身を寄せております。民は散り散りになり、夫婦も男女も、腰を落ち着ける暇もありません。臣を遣わして急を告げさせております」。秦王はそこで車千乗、歩卒七万を発し、これを子虎に預け、砦を越えて東へ向かい、呉を濁水のほとりで撃ち、果たして大いに破って、楚の国を存続させた。その功績は廟堂に納められ、法典に記された。これが「功は努めて成せる」ものである。
解説
訴えの言葉が短い。呉を大猪と大蛇にたとえ、被害が楚から始まったこと、民が腰を落ち着ける暇もないことを述べただけです。前段の七日七夜がすでに語り終えていたからでしょう。車千乗と歩卒七万が動き、国が残りました。「功の強めて成す可き者なり」——努めて成る功の実例として置かれています。
この章句が説くこと
吳は封豨修蛇と為り上国を蠶食す虐楚に始まる寡君社稷を失い越えて草茅に在り百姓離散し夫婦男女啟処するに遑あらず秦王乃ち車千乗歩卒七万を発し塞を逾えて東す果たして大いに之を破り以て楚国を存す此れ功の強めて成す可き者なり嘆願
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