淮南子 / 脩務訓
吳與楚戰,莫囂大心撫其禦之手曰:「今日距強敵,犯白刃,蒙矢石,戰而身死,卒勝民治,全我社稷,可以庶幾乎?」遂入不返,決腹斷頭,不旋踵運軌而死。
新字:吳与楚戦,莫囂大心撫其禦之手曰:「今日距強敵,犯白刃,蒙矢石,戦而身死,卒勝民治,全我社稷,可以庶幾乎?」遂入不返,決腹断頭,不旋踵運軌而死。
書き下し
吳 楚と戰う。莫囂大心 其の禦の手を撫して曰く「今日 強敵に距ぎ、白刃を犯し、矢石を蒙り、戰いて身 死するも、卒に勝ちて民 治まり、我が社稷を全うせば、以て庶幾しと爲す可きか」と。遂に入りて返らず、腹を決き頭を斷たれ、踵を旋らし軌を運らさずして死す。
現代語訳
呉が楚と戦った。莫囂の大心は、御者の手を撫でて言った。「今日、強敵に立ち向かい、白刃をくぐり、矢や石を浴びて、戦って自分が死んだとしても、最後に勝って民が治まり、我が社稷が保たれるなら、それで願いは足りると言えようか」。そして敵中に入って戻らず、腹を裂かれ首を落とされ、踵を返して車の向きを変えることもなく死んだ。
解説
問いの形になっているのが印象に残ります。「以て庶幾しと爲す可きか」——自分が死んでも国が残るなら、それで足りるだろうか。答えは口ではなく、そのまま突き入って戻らなかったことで示されました。「踵を旋らし軌を運らさずして死す」。車の向きを変えなかった、という一句だけで書かれています。
この章句が説くこと
吳楚と戦う莫囂大心其の禦の手を撫して曰く今日強敵に距ぎ白刃を犯し矢石を蒙る戦いて身死するも卒に勝ちて民治まり我が社稷を全うせば以て庶幾しと為す可きか遂に入りて返らず腹を決き頭を断たる踵を旋らし軌を運らさずして死す覚悟
関連する章句
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