淮南子 / 脩務訓
何以明之?昔者南榮疇恥聖道之獨亡於己,身淬霜露,敕蹻趹,跋涉山川,冒蒙荊棘,百舍重跰,不敢休息,南見老聃。受教一言,精神曉泠,純聞條達,欣然七日不食,如饗太牢,是以明照四海,名施後世,達略天地,察分秋豪,稱譽葉語,至今不休。此所謂名可強立者。
新字:何以明之?昔者南栄疇恥聖道之独亡於己,身淬霜露,勅蹻趹,跋渉山川,冒蒙荊棘,百舎重跰,不敢休息,南見老聃。受教一言,精神暁泠,純聞条達,欣然七日不食,如饗太牢,是以明照四海,名施後世,達略天地,察分秋豪,称誉葉語,至今不休。此所謂名可強立者。
書き下し
何を以て之を明らかにせん。昔者 南榮疇 聖道の獨り己に亡きを恥じ、身は霜露に淬され、蹻趹を敕し、山川を跋涉し、荊棘を冒蒙し、百舍 跰を重ね、敢えて休息せず、南のかた老聃に見ゆ。教えを受くること一言、精神 曉泠として、純聞 條達す。欣然として七日 食らわざるも、太牢を饗するが如し。是を以て明は四海を照らし、名は後世に施き、達しては天地を略べ、察しては秋豪を分かち、稱譽 葉語、今に至るまで休まず。此れ所謂 名の強めて立つ可き者なり。
現代語訳
どうしてそう言えるか。昔、南栄趎は、聖人の道が自分にだけ欠けていることを恥じ、身を霜と露にさらし、草鞋を締め直し、山や川を越え、茨をかき分け、百の宿を重ねて足に肉刺を作りながら、あえて休まず、南へ行って老耼に会った。教えをひと言受けると、精神は澄みわたり、聞いたことがそのまま筋道になった。喜びのあまり七日食べなくても、ごちそうを味わっているようだった。それによって、その明るさは四海を照らし、名は後世に及び、大きくは天地を統べ、細かくは秋の毛先を分け、称賛と語り草は、今に至るまでやまない。これがいわゆる「名は努めて立てられる」ものである。
解説
この章句が説くこと
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