淮南子 / 脩務訓
夫瘠地之民多有心力者,勞也;沃地之民多不才者,饒也。由此觀之,知人無務,不若愚而好學。自人君公卿至於庶人,不自強而功成者,天下未之有也。《詩》雲:「日就月將,學有緝熙于光明。」此之謂也。名可務立,功可強成,故君子積志委正,以趣明師,勵節亢高,以絕世俗。
新字:夫瘠地之民多有心力者,労也;沃地之民多不才者,饒也。由此観之,知人無務,不若愚而好学。自人君公卿至於庶人,不自強而功成者,天下未之有也。《詩》雲:「日就月将,学有緝熙于光明。」此之謂也。名可務立,功可強成,故君子積志委正,以趣明師,勵節亢高,以絶世俗。
書き下し
夫れ瘠地の民に心力有る者多きは、勞すればなり。沃地の民に不才なる者多きは、饒かなればなり。此れに由りて之を觀れば、人の務め無きを知るは、愚にして學を好むに若かず。人君公卿より庶人に至るまで、自ら強めずして功 成る者は、天下 未だ之れ有らざるなり。詩に云う「日に就き月に將み、學 緝熙して光明に于る」と。此れの謂いなり。名は務めて立つ可く、功は強めて成る可し。故に君子は志を積み正に委ね、以て明師に趣き、節を勵まし高きに亢りて、以て世俗を絕つ。
現代語訳
痩せた土地の民に気力のある者が多いのは、苦労するからである。肥えた土地の民に才の乏しい者が多いのは、豊かだからである。ここから見れば、知恵があって努めない者は、愚かでも学を好む者に及ばない。君主や公卿から庶民に至るまで、自ら努めずに功を成した者は、天下にまだいない。詩に「日に進み月に歩み、学は明るさを重ねて光明に至る」とある。このことである。名は努めて立てられ、功は励んで成せる。だから君子は志を積んで正しさに身を委ね、優れた師のもとへ赴き、節を励まし高いところに立って、世俗の流れから離れるのである。
解説
「瘠地の民に心力有る者多きは、勞すればなり」。恵まれた条件が人を鈍らせ、厳しい条件が人を鍛える。そのうえで結論が来ます。「人の務め無きを知るは、愚にして學を好むに若かず」——知恵があって努めない人より、愚かでも学び続ける人のほうが上だ、と。脩務訓の主張が、いちばん短い形で出ている一行です。
この章句が説くこと
瘠地の民に心力有る者多きは労すればなり沃地の民に不才なる者多きは饒かなればなり人の務め無きを知るは愚にして学を好むに若かず人君公卿より庶人に至るまで自ら強めずして功成る者は天下未だ之れ有らざるなり日に就き月に将み学緝熙して光明に于る名は務めて立つ可く功は強めて成る可し努力
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