淮南子 / 脩務訓
若此而不能,間居靜思,鼓琴讀書,追觀上古及賢大夫,學問講辯,日以自娛,蘇援世事,分白黑利害,籌策得失,以觀禍福,設儀立度,可以為法則,窮道本末,究事之情,立是廢非,明示後人,死有遺業,生有榮名。如此者,人才之所能逮。然而莫能至焉者,偷慢懈惰,多不暇日之故。
新字:若此而不能,間居静思,鼓琴読書,追観上古及賢大夫,学問講弁,日以自娛,蘇援世事,分白黒利害,籌策得失,以観禍福,設儀立度,可以為法則,窮道本末,究事之情,立是廃非,明示後人,死有遺業,生有栄名。如此者,人才之所能逮。然而莫能至焉者,偷慢懈惰,多不暇日之故。
書き下し
此くの若くにして能わずんば、間居靜思し、琴を鼓し書を讀み、上古及び賢大夫を追觀し、學問講辯して、日に以て自ら娛しみ、世事を蘇援し、白黑利害を分かち、得失を籌策し、以て禍福を觀、儀を設け度を立て、以て法則と爲す可く、道の本末を窮め、事の情を究め、是を立て非を廢し、明らかに後人に示さば、死して遺業有り、生きて榮名有り。此くの如き者は、人才の能く逮ぶ所なり。然れども能く焉に至る莫き者は、偷慢懈惰にして、多く日に暇あらざるの故なり。
現代語訳
そこまでできないなら、静かに居て思いを凝らし、琴を弾き書を読み、上古のことや賢い大夫たちを振り返り、学び問い論じ合って、日々それを楽しみとし、世の出来事を引き寄せて、白黒と利害を分け、得失を計り、そこから禍福を見、決まりを設け尺度を立てて法則とし、道の本末を究め、事の実情を突き止め、正しいものを立て誤りを退け、はっきりと後の人に示せば、死んでは遺した仕事があり、生きては誉れある名がある。こういうことなら、人の才で十分に届く。それでも誰も届かないのは、怠けて緩んで、日々に暇がないと言い訳しているからである。
解説
前段の聖人の境地は高すぎる、と自分で言い直します。そこまででなくても、書を読み、論じ、白黒を分け、得失を計り、後の人に示す。「此くの如き者は、人才の能く逮ぶ所なり」——ここまでは誰でも届く、と。届かない理由も逃げ場なく書かれています。「偷慢懈惰にして、多く日に暇あらざるの故なり」。忙しいという言い訳を、怠けと同じ列に置いています。
この章句が説くこと
間居静思し琴を鼓し書を読み上古及び賢大夫を追観す学問講弁して日に以て自ら娛しみ世事を蘇援し白黒利害を分かつ道の本末を窮め事の情を究め是を立て非を廃し明らかに後人に示す死して遺業有り生きて栄名有り此くの如き者は人才の能く逮ぶ所なり然れども能く焉に至る莫き者は偷慢懈惰にして多く日に暇あらざるの故なり日課
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