淮南子 / 脩務訓
今夫盲者目不能別晝夜,分白黑,然而搏琴撫弦,參彈複徽,攫援摽拂,手若蔑蒙,不失一弦。使未嘗鼓瑟者,雖有離朱之明,攫掇之捷,猶不能屈伸其指。何則?服習積貫之所致。故弓待檠而後能調,劍待砥而後能利。玉堅無敵,鏤以為獸,首尾成形,礛諸之功。木直中繩,揉以為輪,其曲中規,檃括之力。唐碧堅忍之類,猶可刻鏤,揉以成器用,又況心意乎!
新字:今夫盲者目不能別昼夜,分白黒,然而搏琴撫弦,参弾複徽,攫援摽払,手若蔑蒙,不失一弦。使未嘗鼓瑟者,雖有離朱之明,攫掇之捷,猶不能屈伸其指。何則?服習積貫之所致。故弓待檠而後能調,剣待砥而後能利。玉堅無敵,鏤以為獣,首尾成形,礛諸之功。木直中縄,揉以為輪,其曲中規,檃括之力。唐碧堅忍之類,猶可刻鏤,揉以成器用,又況心意乎!
書き下し
今 夫れ盲者は目 晝夜を別ち、白黑を分かつ能わず。然れども琴を搏ち弦を撫し、參彈複徽、攫援摽拂して、手 蔑蒙たるが若くにして、一弦をも失わず。未だ嘗て瑟を鼓せざる者をして、離朱の明、攫掇の捷有りと雖も、猶お其の指を屈伸する能わざらしむ。何ぞ則ち。服習積貫の致す所なり。故に弓は檠を待ちて而る後に能く調い、劍は砥を待ちて而る後に能く利し。玉は堅くして敵無きも、鏤りて以て獸と爲し、首尾 形を成すは、礛諸の功なり。木は直くして繩に中たるも、揉めて以て輪と爲し、其の曲 規に中たるは、檃括の力なり。唐碧堅忍の類も、猶お刻鏤し、揉めて以て器用と成す可し。又た況んや心意をや。
現代語訳
目の見えない者は、昼と夜を見分けられず、白と黒を分けられない。それでも琴を弾き弦を押さえ、重ねて弾き徽を押さえ、掻き寄せ払い、手はかすんで見えるほど動いて、一本の弦も外さない。琴を弾いたことのない者は、離朱ほどの目や、素早い手先を持っていても、指を伸ばし縮めすることさえできない。なぜか。慣れと積み重ねがもたらしたものだからである。弓は矯め木があってはじめて整い、剣は砥石があってはじめて鋭くなる。玉は堅くて敵うものがないが、彫って獣にし、首も尾も形になるのは、研ぐ石のはたらきである。木は真っ直ぐで墨縄に合っているが、撓めて輪にし、その曲がりがコンパスに合うのは、矯め木の力である。唐碧のような堅く粘るものでさえ、彫り、撓めて器にできる。まして人の心ならなおさらである。
解説
この章句が説くこと
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『淮南子』脩務訓通人は則ち然らず。劍を服する者は銛利を期して、墨陽・莫邪を期せず。馬に乘る者は千里を期して、驊騮・綠耳を期せず。琴を鼓する者は鳴廉修營を期して、濫肋・號鍾を期せず。詩・書を誦する者は道に通じ物を略ぶるを期して、洪範・商頌を期せず。聖人の是非を見るは、白黑の目に辨たるる、清濁の耳に聽かるるが若し。眾人は則ち然らず。中に主として以て之を受くる無し。譬えば遺腹子の隴に上り、禮を以て之を哭泣するも、心を歸する所無きが若し。
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『淮南子』脩務訓夫れ純鉤・魚腸の始めて型を下るや、擊てば則ち斷つ能わず、刺せば則ち入る能わず。之に加うるに砥礪を以てし、其の鋒鍔を摩するに及びては、則ち水には龍舟を斷ち、陸には犀甲を剸る。明鏡の始めて型を下るや、矇然として未だ形容を見わさず。其の粉するに玄錫を以てし、摩するに白旃を以てするに及びては、鬢眉の微豪も、得て察す可し。夫れ學は、亦た人の砥錫なり。而るに學 益無しと謂う者は、之を論ずる所以の過ちなり。
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『淮南子』脩務訓是の故に生木の長ずるは、其の益すを見る莫きも、時有りて修し。砥礪の堅を靡るは、其の損ずるを見る莫きも、時有りて薄し。藜藿の生ずるや、蠕蠕然として日に數寸を加うるも、以て櫨棟と爲す可からず。楩楠豫章の生ずるや、七年にして而る後に知る。故に以て棺舟と爲す可し。夫れ事に成り易き者有れば名 小さく、成り難き者は功 大なり。君子 美を修むるは、未だ利有らずと雖も、福 將に後に在りて至らんとす。故に詩に云う「日に就き月に將み、學 緝熙して光明に于る」と。此れの謂いなり。
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『淮南子』脩務訓夫れ瘠地の民に心力有る者多きは、勞すればなり。沃地の民に不才なる者多きは、饒かなればなり。此れに由りて之を觀れば、人の務め無きを知るは、愚にして學を好むに若かず。人君公卿より庶人に至るまで、自ら強めずして功 成る者は、天下 未だ之れ有らざるなり。詩に云う「日に就き月に將み、學 緝熙して光明に于る」と。此れの謂いなり。名は務めて立つ可く、功は強めて成る可し。故に君子は志を積み正に委ね、以て明師に趣き、節を勵まし高きに亢りて、以て世俗を絕つ。
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『淮南子』繆稱訓今夫れ夜に求むる有るに、瞽師と併ぶも、東方 開くれば、斯に照らさる。動きて益有れば、則ち損 之に隨う。故に『易』に曰く、「剝は遂に盡くす可からざるなり。故に之を受くるに複を以てす」と。薄きを積みて厚しと為し、卑きを積みて高しと為す。故に君子は日々孳孳として以て輝を成し、小人は日々怏怏として以て辱に至る。其の消息するや、離朱も見る能わざるなり。文王は善を聞くこと及ばざるが如くし、不善を宿すること不祥の如くす。日 足らざるが為に非ず、其の憂尋 之を推せばなり。故に『詩』に曰く、「周は舊邦なりと雖も、其の命は維れ新たなり」と。情を懷き質を抱けば、天も殺す能わず、地も霾む能わざるなり。聲 天地の間に揚がり、日月の光に配するは、之を甘樂すればなり。苟くも善に向かえば、過つと雖も怨み無し。苟くも善に向かわざれば、忠なりと雖も患いを來たす。故に人を怨むは自ら怨むに如かず、諸を人に求むるは諸を己に求めて得るに如かざるなり。聲は自ら召き、貌は自ら示し、名は自ら命じ、文は自ら官す。己に非ざる者無し。銳を操りて以て刺し、刃を操りて以て擊つ。何ぞ人を怨まんや。故に管子は文錦なり、醜しと雖も廟に登る。子產は練染なり、美なるも尊ばれず。虛にして能く滿ち、淡くして味有るは、褐を被て玉を懷く者なり。故に兩心は以て一人を得可からず、一心は以て百人を得可し。男子 蘭を樹うれば、美なるも芳しからず。繼子 食を得れば、肥ゆるも澤あらず。情 相い與に往來せざればなり。
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『淮南子』脩務訓今 鼓舞する者は、身を繞ること環の若く、曾撓して地を摩し、扶旋猗那、容を動かし曲を轉じ、便媚 神に擬す。身は秋藥の風を被るが若く、發は結旌の若く、騁馳すること騖るが若し。木熙する者は、梧檟に舉り、句枉に據り、蝯のごとく自ら縱ち、茂葉を好み、龍のごとく夭矯し、燕のごとく枝に拘まり、豐條を援き、扶疏に舞い、龍のごとく從い鳥のごとく集まり、搏援攫肆、蔑蒙踴躍す。且つ夫れ觀る者 之が爲に心を損し足を酸せざる莫きに、彼は乃ち始めて徐ろに行き微笑し、衣を被り擢を修む。夫れ鼓舞する者は柔縱に非ず、木熙する者は眇勁に非ず。淹浸漬漸 摩して然らしむるなり。