淮南子 / 脩務訓
夫橘柚冬生,而人曰冬死,死者眾;薺麥夏死,人曰夏生,生者眾。江、河之回曲,亦時有南北者,而人謂江、河東流;攝提鎮星日月東行,而人謂星辰日月西移者;以大氐為本。胡人有知利者,而人謂之駤;越人有重遲者,而人謂之訬;以多者名之。
新字:夫橘柚冬生,而人曰冬死,死者眾;薺麦夏死,人曰夏生,生者眾。江、河之回曲,亦時有南北者,而人謂江、河東流;摂提鎮星日月東行,而人謂星辰日月西移者;以大氐為本。胡人有知利者,而人謂之駤;越人有重遅者,而人謂之訬;以多者名之。
書き下し
夫れ橘柚は冬に生ずるも、人 冬に死すと曰うは、死する者 眾ければなり。薺麥は夏に死するも、人 夏に生ずと曰うは、生ずる者 眾ければなり。江・河の回曲は、亦た時に南北する者有り。而れども人は江・河 東流すと謂う。攝提 鎮星 日月は東行す。而れども人は星辰 日月 西移すと謂うは、大氐を以て本と爲せばなり。胡人に利を知る者有り。而れども人 之を駤と謂う。越人に重遲なる者有り。而れども人 之を訬と謂うは、多き者を以て之に名づくればなり。
現代語訳
橘や柚は冬に実る。それでも人が冬を枯れる季節というのは、枯れるものが多いからである。薺や麦は夏に枯れる。それでも人が夏を生い茂る季節というのは、育つものが多いからである。長江や黄河の曲がりくねりには、南へ北へ向かうところもある。それでも人は江河が東へ流れると言う。摂提や鎮星や日月は東へ動く。それでも人が星や日月は西へ移ると言うのは、大づかみを基準にしているからである。胡の人にも利に敏い者がいる。それでも人は胡人を鈍重だと言う。越の人にも重々しく遅い者がいる。それでも人は越人を軽率だと言う。多いほうで名づけているからである。
解説
言葉は大づかみでできている、という説明です。冬にも実るものはあるが、枯れるほうが多いから冬は枯れる季節と呼ばれる。川は曲がって北へも向かうが、東流と呼ばれる。だから「胡人は鈍い」「越人は軽い」という言い方も、多数を指しているだけで、目の前の一人には当てはまらない。前段の両極端の議論と合わせて、言葉の使い方を点検する一段です。
この章句が説くこと
橘柚は冬に生ずるも人冬に死すと曰うは死する者眾ければなり薺麦は夏に死するも人夏に生ずと曰うは生ずる者眾ければなり江・河の回曲は亦た時に南北する者有り而れども人は江・河東流すと謂う人は星辰日月西移すと謂うは大氐を以て本と為せばなり胡人に利を知る者有り而れども人之を駤と謂う多き者を以て之に名づくればなり通念
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