淮南子 / 脩務訓
且子有弑父者,然而天下莫疏其子,何也?愛父者眾也。儒有邪辟者,而先王之道不廢,何也?其行之者多也。今以為學者之有過而非學者,則是以一飽之故,絕穀不食,以一蹪之難,輟足不行,惑也。
新字:且子有弑父者,然而天下莫疏其子,何也?愛父者眾也。儒有邪辟者,而先王之道不廃,何也?其行之者多也。今以為学者之有過而非学者,則是以一飽之故,絶穀不食,以一蹪之難,輟足不行,惑也。
書き下し
且つ子に父を弑する者有り。然れども天下 其の子を疏んずる莫きは、何ぞや。父を愛する者 眾ければなり。儒に邪辟なる者有り。而れども先王の道 廢れざるは、何ぞや。之を行う者 多ければなり。今 學ぶ者の過ち有るを以て學を非とせば、則ち是れ一飽の故を以て、穀を絕ちて食らわず、一蹪の難を以て、足を輟めて行かざるなり。惑いなり。
現代語訳
子で父を殺す者がいる。それでも天下が子というものを遠ざけないのはなぜか。父を愛する子のほうが多いからである。儒者にもよこしまな者がいる。それでも先王の道が廃れないのはなぜか。それを行う者のほうが多いからである。いま、学ぶ者に過ちがあるからといって学を否定するなら、それは一度食べ過ぎたからといって穀物を断って食べず、一度つまずいたからといって足を止めて歩かないようなものだ。迷いである。
解説
悪い例をもって全体を捨てるな、という一段です。父を殺す子がいても、子というものは疎まれない。多数がそうでないからです。「一飽の故を以て、穀を絕ちて食らわず、一蹪の難を以て、足を輟めて行かず」。一度の失敗で、その営み自体をやめてしまう。学びに限らず、人を採ることでも、任せることでも、同じ形の間違いが起きます。
この章句が説くこと
子に父を弑する者有り然れども天下其の子を疏んずる莫きは何ぞや父を愛する者眾ければなり儒に邪辟なる者有り而れども先王の道廃れざるは之を行う者多ければなり今学ぶ者の過ち有るを以て学を非とせば一飽の故を以て穀を絶ちて食らわず一蹪の難を以て足を輟めて行かざるなり惑いなり全体
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