淮南子 / 脩務訓
夫墨子跌蹄而趨千里,以存楚、宋;段干木闔門不出,以安秦、魏。夫行與止也,其勢相反,而皆可以存國,此所謂異路而同歸者也。今夫救火者,汲水而趨之,或以甕瓴,或以盆盂,其方員銳橢不同,盛水各異,其於滅火鈞也。故秦、楚、燕、魏之歌也,異轉而皆樂;九夷八狄之哭也,殊聲而皆悲;一也。夫歌者,樂之徵也;哭者,悲之效也。憤于中則應於外,故在所以感。夫聖人之心,日夜不忘於欲利人,其澤之所及者,效亦大矣。
新字:夫墨子跌蹄而趨千里,以存楚、宋;段干木闔門不出,以安秦、魏。夫行与止也,其勢相反,而皆可以存国,此所謂異路而同帰者也。今夫救火者,汲水而趨之,或以甕瓴,或以盆盂,其方員銳橢不同,盛水各異,其於滅火鈞也。故秦、楚、燕、魏之歌也,異転而皆楽;九夷八狄之哭也,殊声而皆悲;一也。夫歌者,楽之徴也;哭者,悲之効也。憤于中則応於外,故在所以感。夫聖人之心,日夜不忘於欲利人,其沢之所及者,効亦大矣。
書き下し
夫れ墨子は跌蹄して千里に趨り、以て楚・宋を存す。段干木は門を闔じて出でず、以て秦・魏を安んず。夫れ行くと止まるとは、其の勢 相い反す。而れども皆な以て國を存す可し。此れ所謂 路を異にして歸を同じくする者なり。今 夫れ火を救う者は、水を汲みて之に趨る。或いは甕瓴を以てし、或いは盆盂を以てす。其の方員銳橢 同じからず、水を盛ること各々異なるも、其の火を滅するに於けるは鈞しきなり。故に秦・楚・燕・魏の歌は、轉を異にして皆な樂しく、九夷八狄の哭は、聲を殊にして皆な悲しきは、一なればなり。夫れ歌なる者は、樂の徵なり。哭なる者は、悲の效なり。中に憤れば則ち外に應ず。故に感ずる所以に在り。夫れ聖人の心は、日夜 人を利せんと欲するを忘れず。其の澤の及ぶ所の者、效も亦た大なり。
現代語訳
墨子は足を傷つけながら千里を走って、楚と宋を保たせた。段干木は門を閉じて出ないことで、秦と魏を安んじた。行くと止まるとは、勢いが正反対である。それでもどちらも国を存続させられる。これがいわゆる「道は違っても行き着く先は同じ」である。火を消そうとする者は、水を汲んで駆けつける。ある者は甕や瓶を使い、ある者は盆や鉢を使う。四角い丸い尖った長いと形は同じでなく、汲める水も違うが、火を消すという点では等しい。秦・楚・燕・魏の歌は、節回しが違ってもみな楽しく、九夷八狄の泣き声は、声が違ってもみな悲しい。もとが一つだからである。歌とは楽しさの現れであり、泣くとは悲しみの現れである。内に高ぶれば外に応じて出る。だから、何に感じているかにある。聖人の心は、日夜、人を利したいということを忘れない。その恵みの及ぶところは、効き目もまた大きい。
解説
この章句が説くこと
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