淮南子 / 脩務訓
夫地勢,水東流,人必事焉,然後水潦得穀行。禾稼春生,人必加功焉,故五穀得遂長。聽其自流,待其自生,則鯀、禹之功不立,而后稷之智不用。若吾所謂無為者,私志不得入公道,嗜欲不得枉正術,循理而舉事,因資而立,權自然之勢,而曲故不得容者,事成而身弗伐,功立而名弗有,非謂其感而不應,攻而不動者。
新字:夫地勢,水東流,人必事焉,然後水潦得穀行。禾稼春生,人必加功焉,故五穀得遂長。聴其自流,待其自生,則鯀、禹之功不立,而后稷之智不用。若吾所謂無為者,私志不得入公道,嗜欲不得枉正術,循理而舉事,因資而立,権自然之勢,而曲故不得容者,事成而身弗伐,功立而名弗有,非謂其感而不応,攻而不動者。
書き下し
夫れ地勢、水は東流す。人 必ず焉に事えて、然る後に水潦 穀行するを得。禾稼は春に生ず。人 必ず功を加えて、故に五穀 遂長するを得。其の自ら流るるに聽せ、其の自ら生ずるを待たば、則ち鯀・禹の功 立たずして、后稷の智 用いられず。吾が所謂 無爲なる者の若きは、私志 公道に入るを得ず、嗜欲 正術を枉ぐるを得ず、理に循いて事を舉げ、資に因りて立て、自然の勢に權りて、曲故 容るるを得ざる者なり。事 成りて身 伐らず、功 立ちて名 有せず。其の感じて應ぜず、攻めて動かざるを謂うに非ざるなり。
現代語訳
地の勢いとして、水は東に流れる。それでも人が必ず手を入れて、はじめて水は溝を通って流れる。穀物は春に生える。それでも人が必ず手をかけて、はじめて五穀は育ちきる。流れるに任せ、生えるのを待つだけなら、鯀と禹の功は立たず、后稷の知恵も用いられない。私の言う無為とは、私心が公の道に入り込まず、欲が正しいやり方を曲げず、理に従って事を起こし、あるものによって立て、自然の勢いを見計らって、小細工の入る余地がない、ということである。事が成っても自分を誇らず、功が立っても名を持たない。感じても応えず、働きかけても動かない、という意味ではない。
解説
水は放っておいても東へ流れます。それでも人が溝を掘らなければ田には届かない。自然に任せることと、何もしないことは違う、という一段です。「無為」の定義がここではっきり示されます。私心が公の道に入らず、欲がやり方を曲げず、理に従って起こし、成っても誇らない。動かないことではなく、余計なものを混ぜないこと。
この章句が説くこと
地勢水は東流す人必ず焉に事えて然る後に水潦穀行するを得其の自ら流るるに聴せ其の自ら生ずるを待たば則ち鯀・禹の功立たず私志公道に入るを得ず嗜欲正術を枉ぐるを得ず理に循いて事を舉げ資に因りて立て自然の勢に権る事成りて身伐らず功立ちて名有せず其の感じて応ぜず攻めて動かざるを謂うに非ざるなり無為
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