淮南子 / 脩務訓
堯立孝慈仁愛,使民如子弟。西教沃民,東至黑齒,北撫幽都,南道交趾。放讙兜於崇山,竄三苗于三危,流共工於幽州,殛鯀於羽山。舜作室,築牆茨屋,辟地樹穀,令民皆知去岩穴,各有家室。南征三苗,道死蒼梧。禹沐浴霪雨,櫛扶風,決江疏河,鑿龍門,辟伊闕,修彭蠡之防,乘四載,隨山刊木,平治水土,定千八百國。
新字:堯立孝慈仁愛,使民如子弟。西教沃民,東至黒齒,北撫幽都,南道交趾。放讙兜於崇山,竄三苗于三危,流共工於幽州,殛鯀於羽山。舜作室,築牆茨屋,辟地樹穀,令民皆知去岩穴,各有家室。南征三苗,道死蒼梧。禹沐浴霪雨,櫛扶風,決江疏河,鑿竜門,辟伊闕,修彭蠡之防,乗四載,随山刊木,平治水土,定千八百国。
書き下し
堯 孝慈仁愛を立て、民をして子弟の如くならしむ。西のかた沃民を教え、東のかた黑齒に至り、北のかた幽都を撫し、南のかた交趾を道く。讙兜を崇山に放ち、三苗を三危に竄し、共工を幽州に流し、鯀を羽山に殛す。舜 室を作り、牆を築き屋を茨き、地を辟き穀を樹え、民をして皆な岩穴を去るを知らしめ、各々家室有らしむ。南のかた三苗を征し、道に蒼梧に死す。禹 霪雨に沐浴し、扶風に櫛り、江を決し河を疏し、龍門を鑿ち、伊闕を辟き、彭蠡の防を修め、四載に乘り、山に隨いて木を刊り、水土を平治し、千八百國を定む。
現代語訳
堯は孝と慈と仁愛を立て、民を我が子のように扱った。西では沃民を教え、東は黒歯に至り、北は幽都を撫し、南は交趾を導いた。讙兜を崇山に追い、三苗を三危に移し、共工を幽州に流し、鯀を羽山で誅した。舜は家を作り、牆を築き屋根を葺き、土地を開いて穀物を植え、民が皆、岩穴を出ることを知り、それぞれ家を持つようにした。南に三苗を征伐し、その途上、蒼梧で没した。禹は長雨に打たれて髪を洗い、烈風に櫛けずられながら、長江を切り開き黄河を疏通し、龍門を穿ち、伊闕を開き、彭蠡の堤を修め、四種の乗り物を使い分け、山に沿って木を伐り、水と土を平らげ治め、千八百の国を定めた。
解説
三人の仕事が、動詞だけで並びます。放つ、移す、流す、誅する。築く、葺く、開く、植える。切り開く、疏通する、穿つ、伐る。「霪雨に沐浴し、扶風に櫛る」——長雨で髪を洗い、風で櫛けずる。禹の姿を言ったこの二句が、この段の温度です。舜は遠征の途中で死んでいます。無為の像とは、あまりに遠い。
この章句が説くこと
堯孝慈仁愛を立て民をして子弟の如くならしむ讙兜を崇山に放ち三苗を三危に竄し共工を幽州に流し鯀を羽山に殛す舜室を作り牆を築き屋を茨き地を辟き穀を樹う南のかた三苗を征し道に蒼梧に死す禹霪雨に沐浴し扶風に櫛り江を決し河を疏し竜門を鑿つ実務
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