淮南子 / 人間訓
物類之相摩,近而異門戶者,眾而難識也。故或類之而非,或不類之而是;或若然而不然者,或不若然而然者。諺曰:「鳶墮腐鼠,而虞氏以亡。」何謂也?曰:虞氏,梁之大富人也。家充盈殷富,金錢無量,財貨無貲。升高樓,臨大路,設樂陳酒,積博其上。游俠相隨而行樓下。博上者射朋張,中反兩而笑,飛鳶適墮其腐鼠而中游俠。游俠相與言曰:「虞氏富樂之日久矣,而常有輕易人之志。吾不敢侵犯,而乃辱我以腐鼠。如此不報,無以立務於天下。請與公僇力一志,悉率徒屬,而必以滅其家。」此所謂類之而非者也。何謂非類而是?
新字:物類之相摩,近而異門戸者,眾而難識也。故或類之而非,或不類之而是;或若然而不然者,或不若然而然者。諺曰:「鳶堕腐鼠,而虞氏以亡。」何謂也?曰:虞氏,梁之大富人也。家充盈殷富,金銭無量,財貨無貲。升高楼,臨大路,設楽陳酒,積博其上。游俠相随而行楼下。博上者射朋張,中反両而笑,飛鳶適堕其腐鼠而中游俠。游俠相与言曰:「虞氏富楽之日久矣,而常有軽易人之志。吾不敢侵犯,而乃辱我以腐鼠。如此不報,無以立務於天下。請与公僇力一志,悉率徒属,而必以滅其家。」此所謂類之而非者也。何謂非類而是?
書き下し
物類の相い摩し、近くして門戶を異にする者は、眾くして識り難きなり。故に或いは之に類して非なり、或いは之に類せずして是なり。或いは然るが若くして然らざる者あり、或いは然るが若くならずして然る者あり。諺に曰く「鳶 腐鼠を墮として、虞氏 以て亡ぶ」と。何の謂いぞや。曰く、虞氏は、梁の大富人なり。家 充盈殷富、金錢 量無く、財貨 貲る無し。高樓に升り、大路に臨み、樂を設け酒を陳ね、博を其の上に積む。游俠 相い隨いて樓下を行く。博上の者 朋張を射て、兩を反して笑う。飛鳶 適々其の腐鼠を墮として游俠に中つ。游俠 相い與に言いて曰く「虞氏 富樂の日 久し。而して常に人を輕易するの志有り。吾 敢えて侵犯せざるに、乃ち我を辱むるに腐鼠を以てす。此くの如くして報いずんば、以て天下に務を立つる無し。請う、公と力を僇せ志を一にし、悉く徒屬を率いて、必ず以て其の家を滅ぼさん」と。此れ所謂 之に類して非なる者なり。何をか類に非ずして是なりと謂う。
現代語訳
物事は互いに擦れ合い、似ていながら出どころの違うものが多くて、見分けがたい。だから、似ていて違うものがあり、似ていなくて当たっているものがある。そう見えてそうでないものがあり、そう見えなくてそうであるものがある。諺に「鳶が腐った鼠を落として、虞氏はそれで滅んだ」という。どういうことか。虞氏は梁の大金持ちであった。家は満ち足りて豊かで、金銭は数えきれず、財貨は計りようもない。高楼に上って大通りを見下ろし、楽を設け酒を並べ、その上で博打を打っていた。侠客たちが連れ立って楼の下を通った。博打をしていた者が賽を投げ、いい目が出て笑った。ちょうどそのとき、飛んでいた鳶が腐った鼠を落とし、侠客に当たった。侠客たちは言い合った。「虞氏は富み栄えて久しく、いつも人を軽んじる心がある。こちらは何も仕掛けていないのに、腐った鼠でおれたちを辱めた。これで報いなければ、天下に顔向けができない。どうか力を合わせ志を一つにし、手下を残らず率いて、必ずあの家を滅ぼそう」。これがいわゆる「似ていて違う」ものである。似ていなくて当たっているとはどういうことか。
解説
この章句が説くこと
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