淮南子 / 說山訓
見彈而求鴞炙,見卵而求晨夜,見黂而求成布,雖其理哉,亦不病暮。象解其牙,不憎人之利之也;死而棄其招簀,不怨人取之。人能以所不利利人,則可。狂者東走,逐者亦東走,東走則同,所以東走則異。溺者入水,拯之者亦入水,入水則同,所以入水者則異。故聖人同死生,愚人亦同死生,聖人之同死生通於分理,愚人之同死生不知利害所在。徐偃王以仁義亡國,國亡者非必仁義;比干以忠靡其體,被誅者非必忠也。故寒顫,懼者亦顫,此同名而異實。
新字:見弾而求鴞炙,見卵而求晨夜,見黂而求成布,雖其理哉,亦不病暮。象解其牙,不憎人之利之也;死而棄其招簀,不怨人取之。人能以所不利利人,則可。狂者東走,逐者亦東走,東走則同,所以東走則異。溺者入水,拯之者亦入水,入水則同,所以入水者則異。故聖人同死生,愚人亦同死生,聖人之同死生通於分理,愚人之同死生不知利害所在。徐偃王以仁義亡国,国亡者非必仁義;比干以忠靡其体,被誅者非必忠也。故寒顫,懼者亦顫,此同名而異実。
書き下し
彈を見て鴞炙を求め、卵を見て晨夜を求め、黂を見て成布を求むるは、其の理なりと雖も、亦た暮を病まず。象は其の牙を解くも、人の之を利とするを憎まず。死して其の招簀を棄つるも、人の之を取るを怨みず。人 能く利とせざる所を以て人を利すれば、則ち可なり。狂者 東に走り、逐う者も亦た東に走る。東に走るは則ち同じきも、東に走る所以は則ち異なる。溺るる者 水に入り、之を拯う者も亦た水に入る。水に入るは則ち同じきも、水に入る所以の者は則ち異なる。故に聖人は死生を同じくし、愚人も亦た死生を同じくす。聖人の死生を同じくするは分理に通ず。愚人の死生を同じくするは利害の在る所を知らず。徐偃王は仁義を以て國を亡ぼす。國を亡ぼす者は必ずしも仁義ならず。比干は忠を以て其の體を靡す。誅せらるる者は必ずしも忠ならざるなり。故に寒ければ顫え、懼るる者も亦た顫う。此れ名を同じくして實を異にするなり。
現代語訳
弾き玉を見てふくろうの焼き物を求め、卵を見て夜明けを告げる鶏を求め、麻の実を見て織り上がった布を求めるのは、道理ではあるが、それでも遅すぎるとは言えない。象は牙を落としても、人がそれを役立てるのを憎まない。死んで寝床の簀を捨てても、人が持って行くのを怨まない。人が自分の利にならないもので人を利せるなら、それでよい。狂人が東へ走り、追う者もまた東へ走る。東へ走るのは同じでも、東へ走る理由は違う。溺れる者が水に入り、助ける者もまた水に入る。水に入るのは同じでも、水に入る理由は違う。だから聖人も生死を同じと見、愚か者もまた生死を同じと見る。聖人が生死を同じと見るのは筋道に通じているからであり、愚か者が生死を同じと見るのは利害のありかを知らないからである。徐偃王は仁義によって国を亡ぼした。だが国を亡ぼす者が必ず仁義とは限らない。比干は忠によって身を裂かれた。だが誅される者が必ず忠とは限らない。寒ければ震え、恐れる者もまた震える。これは名前が同じで中身が違うということである。
解説
この章句が説くこと
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