淮南子 / 氾論訓
夫物之相類者,世主之所亂惑也;嫌疑肖象者,眾人之所眩耀。故狠者類知而非知,愚者類仁而非仁,戇者類勇而非勇。使人之相去也,若玉之與石,美之與惡,則論人易矣。夫亂人者,芎藭之與藳本也,蛇床之與麋蕪也,此皆相似者。故劍工惑劍之似莫邪者,唯歐冶能名其種;玉工眩玉之似碧盧者,唯猗頓不失其情;闇主亂于姦臣小人之疑君子者,唯聖人能見微以知明。故蛇舉首尺,而修短可知也;象見其牙,而大小可論也。薛燭庸子,見若狐甲於劍而利鈍識矣;臾兒、易牙,淄、澠之水合者,嘗一哈水而甘苦知矣。
新字:夫物之相類者,世主之所乱惑也;嫌疑肖象者,眾人之所眩耀。故狠者類知而非知,愚者類仁而非仁,戇者類勇而非勇。使人之相去也,若玉之与石,美之与悪,則論人易矣。夫乱人者,芎藭之与藳本也,蛇床之与麋蕪也,此皆相似者。故剣工惑剣之似莫邪者,唯欧冶能名其種;玉工眩玉之似碧盧者,唯猗頓不失其情;闇主乱于姦臣小人之疑君子者,唯聖人能見微以知明。故蛇舉首尺,而修短可知也;象見其牙,而大小可論也。薛燭庸子,見若狐甲於剣而利鈍識矣;臾児、易牙,淄、澠之水合者,嘗一哈水而甘苦知矣。
書き下し
夫れ物の相い類する者は、世主の亂惑する所なり。嫌疑肖象なる者は、眾人の眩耀する所なり。故に狠なる者は知に類して知に非ず、愚なる者は仁に類して仁に非ず、戇なる者は勇に類して勇に非ず。人の相い去るをして、玉と石と、美と惡とのごとくならしめば、則ち人を論ずること易からん。夫れ人を亂す者は、芎藭と藳本と、蛇床と麋蕪となり。此れ皆な相い似たる者なり。故に劍工は劍の莫邪に似たる者に惑うも、唯だ歐冶のみ能く其の種を名づく。玉工は玉の碧盧に似たる者に眩むも、唯だ猗頓のみ其の情を失わず。闇主は姦臣小人の君子に疑わしき者に亂さるるも、唯だ聖人のみ能く微を見て以て明を知る。故に蛇 首を舉ぐること尺にして、修短 知る可きなり。象 其の牙を見して、大小 論ず可きなり。薛燭庸子は、狐甲の若きを劍に見て利鈍 識れり。臾兒・易牙は、淄・澠の水 合する者を、一哈の水を嘗めて甘苦 知れり。
現代語訳
物が互いに似ていることは、世の君主が惑わされるもとである。紛らわしく似た姿は、人々が目をくらませるもとである。だから強情な者は知恵に似ているが知恵ではなく、愚かな者は仁に似ているが仁ではなく、頑なな者は勇に似ているが勇ではない。人の隔たりが、玉と石、美しいものと醜いもののように違っていれば、人を論じるのはたやすい。人を惑わせるのは、芎藭と藁本、蛇床と麋蕪のようなものである。どれも似ているものだ。だから刀工は莫邪に似た剣に惑わされるが、歐冶だけはその種類を言い当てる。玉工は碧盧に似た玉に目がくらむが、猗頓だけはその実情を外さない。暗君は君子に似た奸臣や小人に乱されるが、聖人だけは微かなものを見て明らかなことを知る。だから蛇は首を一尺挙げれば、長さが分かる。象は牙を見せれば、大きさが論じられる。薛燭や庸子は、剣に爪ほどの部分を見て切れ味を見分けた。臾児や易牙は、淄水と澠水が合わさったものを、ひとくち舐めて甘い苦いを知った。
解説
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