淮南子 / 說山訓
視方寸於牛,不知其大於羊;總視其體,乃知其大相去之遠。孕婦見兔而子缺脣,見麋而子四目。小馬大目,不可謂大馬;大馬之目眇,可謂之眇馬;物固有似然而似不然者。故決指而身死,或斷臂而顧活,類不可必推。厲利劍者必以柔砥,擊鐘磬者必以濡木,轂強必以弱輻,兩堅不能相和,兩強不能相服。故梧桐斷角,馬氂截玉。媒但者,非學謾也,但成而生不信。立慬者,非學鬥爭也,慬立而生不讓。故君子不入獄,為其傷恩也;不入市,為其侳廉也;積不可不慎者也。走不以手,縛手走不能疾;飛不以尾,屈尾飛不能遠;物之用者必待不用者。
新字:視方寸於牛,不知其大於羊;総視其体,乃知其大相去之遠。孕婦見兔而子欠脣,見麋而子四目。小馬大目,不可謂大馬;大馬之目眇,可謂之眇馬;物固有似然而似不然者。故決指而身死,或断臂而顧活,類不可必推。厲利剣者必以柔砥,擊鐘磬者必以濡木,轂強必以弱輻,両堅不能相和,両強不能相服。故梧桐断角,馬氂截玉。媒但者,非学謾也,但成而生不信。立慬者,非学鬥争也,慬立而生不譲。故君子不入獄,為其傷恩也;不入市,為其侳廉也;積不可不慎者也。走不以手,縛手走不能疾;飛不以尾,屈尾飛不能遠;物之用者必待不用者。
書き下し
牛に方寸を視れば、其の羊より大なるを知らず。總べて其の體を視て、乃ち其の大の相い去ることの遠きを知る。孕婦 兔を見れば子 脣を缺き、麋を見れば子 四目なり。小馬の大目は、大馬と謂う可からず。大馬の目 眇なれば、之を眇馬と謂う可し。物 固より然るに似て然らざるに似たる者有り。故に指を決して身 死し、或いは臂を斷ちて顧って活く。類は必ずしも推す可からず。利劍を厲ぐ者は必ず柔砥を以てし、鐘磬を擊つ者は必ず濡木を以てす。轂 強ければ必ず弱輻を以てす。兩堅は相い和する能わず、兩強は相い服する能わず。故に梧桐は角を斷ち、馬氂は玉を截つ。媒但なる者は、謾を學ぶに非ざるなり。但 成りて不信を生ず。慬を立つる者は、鬥爭を學ぶに非ざるなり。慬 立ちて不讓を生ず。故に君子は獄に入らず、其の恩を傷るが爲なり。市に入らず、其の廉を侳るが爲なり。積 慎まざる可からざる者なり。走るに手を以てせざるも、手を縛れば走ること疾き能わず。飛ぶに尾を以てせざるも、尾を屈すれば飛ぶこと遠き能わず。物の用うる者は必ず不用なる者を待つ。
現代語訳
牛の一寸四方だけを見ても、それが羊より大きいとは分からない。全体を見てはじめて、大きさの隔たりが遠いと分かる。身重の女が兎を見れば子は唇が裂け、大鹿を見れば子は目が四つになるという。小さな馬の大きな目を、大きな馬とは言えない。大きな馬の目が細ければ、細目の馬とは言える。物にはもともと、そうであるようでそうでないものがある。だから指を切って命を落とすこともあれば、腕を断ってかえって助かることもある。類は必ずしも推し量れない。鋭い剣を研ぐ者は必ず柔らかい砥石を使い、鐘や磬を打つ者は必ず湿った木の撥を使う。轂が強ければ必ず弱い輻を使う。堅いもの同士は和せず、強いもの同士は従わない。だから梧桐の撥が角を断ち、馬の毛が玉を切る。仲立ちをする者は偽りを学んだのではない。仲立ちが成って、不信が生じる。勇を立てる者は争いを学んだのではない。勇が立って、譲らなさが生じる。だから君子は訴訟の場に入らない、恩を損なうからである。市場に入らない、清廉さを崩すからである。積み重なるものは慎まなければならない。走るのに手は使わないが、手を縛れば速く走れない。飛ぶのに尾は使わないが、尾を曲げれば遠くへ飛べない。用のあるものは、必ず用のないものに支えられている。
解説
この章句が説くこと
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