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淮南子 / 人間訓

魯君之欲為室誠矣,公宣子止之必矣,然三說而一聽者,其二者非其道也。夫臨河而釣,日入而不能得一鯈魚者,非江河魚不食也,所以餌之者非其欲也。及至良工執竿,投而擐脣吻者,能以其所欲而釣者也。夫物無不可奈何,有人無奈何。鉛之與丹,異類殊色,而可以為丹者,得其數也。故繁稱文辭,無益於說,審其所由而已矣。

新字:魯君之欲為室誠矣,公宣子止之必矣,然三説而一聴者,其二者非其道也。夫臨河而釣,日入而不能得一鯈魚者,非江河魚不食也,所以餌之者非其欲也。及至良工執竿,投而擐脣吻者,能以其所欲而釣者也。夫物無不可奈何,有人無奈何。鉛之与丹,異類殊色,而可以為丹者,得其数也。故繁称文辞,無益於説,審其所由而已矣。

書き下し

魯君の室を爲らんと欲するは誠なり。公宣子の之を止むるは必なり。然れども三たび說きて一たび聽かるるは、其の二つの者 其の道に非ざればなり。夫れ河に臨みて釣り、日 入りて一鯈魚をも得る能わざる者は、江河に魚として食らわざるに非ず。之に餌する所以の者 其の欲に非ざればなり。良工の竿を執るに及びては、投じて脣吻に擐かかる者は、能く其の欲する所を以て釣る者なればなり。夫れ物に奈何ともす可からざる無く、人に奈何ともする無き有り。鉛の丹に與けるは、類を異にし色を殊にす。而れども以て丹と爲す可き者は、其の數を得ればなり。故に繁く稱し文もて辭するは、說に益無し。其の由る所を審らかにするのみ。

現代語訳

魯の君が広間を造りたい気持ちは本気だった。公宣子が止めようとしたのも本気だった。それでも三度説いて一度しか聞かれなかったのは、あとの二つがその道でなかったからである。川に臨んで釣り、日が暮れるまで一匹の小魚も釣れないのは、川に食う魚がいないからではない。餌にしているものが、魚の欲しいものでないからである。腕のよい者が竿を執れば、投げるそばから口にかかる。相手の欲しいもので釣っているからである。物にはどうにもならないものはなく、人にはどうにもならない者がいる。鉛と丹砂は種類も色も違う。それでも鉛から丹を作れるのは、その方法を得ているからである。だから言葉を重ね飾り立てても、説得の役には立たない。拠るところを見極めるだけである。

解説

「之に餌する所以の者 其の欲に非ざればなり」。魚が釣れないのは川のせいではなく、餌が相手の欲しいものでないから。前章で公宣子が三度説いて一度しか届かなかった理由が、これで説明されます。「繁く稱し文もて辭するは、說に益無し」——言葉を重ねるのは、たいてい餌を替えずに投げ続けているだけです。

この章句が説くこと

三たび説きて一たび聴かるるは其の二つの者其の道に非ざればなり河に臨みて釣り日入りて一鯈魚をも得る能わざる者は之に餌する所以の者其の欲に非ざればなり良工の竿を執るに及びては能く其の欲する所を以て釣る者なればなり物に奈何ともす可からざる無く人に奈何ともする無き有り繁く称し文もて辞するは説に益無し其の由る所を審らかにするのみ説得

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