淮南子 / 人間訓
故聖人行之於小,則可以覆大矣;審之於近,則可以懷遠矣。孫叔敖決期思之水而灌雩婁之野,莊王知其可以為令尹也。子發辯擊劇而勞佚齊,楚國知其可以為兵主也。此皆形於小微,而通於大理者也。聖人之舉事,不加憂焉,察其所以而已矣。今萬人調鐘,不能比之律;誠得知者,一人而足矣。說者之論,亦猶此也。誠得其數,則無所用多矣。夫車之所以能轉千里者,以其要在三寸之轄。夫勸人而弗能使也,禁人而弗能止也,其所由者非理也。
新字:故聖人行之於小,則可以覆大矣;審之於近,則可以懐遠矣。孫叔敖決期思之水而灌雩婁之野,荘王知其可以為令尹也。子発弁擊劇而労佚斉,楚国知其可以為兵主也。此皆形於小微,而通於大理者也。聖人之舉事,不加憂焉,察其所以而已矣。今万人調鐘,不能比之律;誠得知者,一人而足矣。説者之論,亦猶此也。誠得其数,則無所用多矣。夫車之所以能転千里者,以其要在三寸之轄。夫勧人而弗能使也,禁人而弗能止也,其所由者非理也。
書き下し
故に聖人 之を小に行えば、則ち以て大を覆う可し。之を近きに審らかにすれば、則ち以て遠きを懷く可し。孫叔敖 期思の水を決して雩婁の野に灌ぐ。莊王 其の以て令尹と爲す可きを知る。子發 擊劇を辯じて勞佚 齊し。楚國 其の以て兵主と爲す可きを知る。此れ皆な小微に形れて、大理に通ずる者なり。聖人の事を舉ぐるや、憂いを加えず、其の所以を察するのみ。今 萬人 鐘を調うるも、之を律に比する能わず。誠に知る者を得ば、一人にして足る。說く者の論も、亦た猶お此くのごときなり。誠に其の數を得ば、則ち多きを用うる所無し。夫れ車の能く千里を轉ずる所以の者は、其の要 三寸の轄に在るを以てなり。夫れ人に勸めて使う能わず、人を禁じて止む能わざるは、其の由る所の者 理に非ざればなり。
現代語訳
聖人が小さなところで行えば、大きなところを覆うことができる。近いところで見極めれば、遠いところを懐かせることができる。孫叔敖は期思の水を切って雩婁の野に引いた。荘王はそれで彼を令尹にできると知った。子発は難所への配置を按配して労と休みを均した。楚の国はそれで彼を軍の長にできると知った。どれも小さく微かなところに現れて、大きな理に通じている。聖人が事を起こすときは、余計な心配を加えず、その拠って立つところを見るだけである。いま万人が鐘を調律しても、音律に合わせられない。本当に分かる者が一人いれば足りる。説く者の議論もこれと同じで、要をつかんでいれば、数を用いる必要はない。車が千里を転がっていけるのは、その要が三寸の楔にあるからである。人に勧めても動かせず、人を禁じても止められないのは、拠っているものが理でないからである。
解説
この章句が説くこと
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