淮南子 / 繆稱訓
其施厚者其報美,其怨大者其禍深。薄施而厚望,畜怨而無患者,古今未之有也。是故聖人察其所以往,則知其所以來者。聖人之道,猶中衢而致尊邪:過者斟酌,多少不同,各得其所宜。是故得一人,所以得百人也。人以其所願於上,以交其下,誰弗戴?以其所欲於下,以事其上,誰弗喜?《詩》雲:「媚茲一人,應侯慎德。」慎德大矣,一人小矣。能善小,其能善大矣。
新字:其施厚者其報美,其怨大者其禍深。薄施而厚望,畜怨而無患者,古今未之有也。是故聖人察其所以往,則知其所以来者。聖人之道,猶中衢而致尊邪:過者斟酌,多少不同,各得其所宜。是故得一人,所以得百人也。人以其所願於上,以交其下,誰弗戴?以其所欲於下,以事其上,誰弗喜?《詩》雲:「媚茲一人,応侯慎徳。」慎徳大矣,一人小矣。能善小,其能善大矣。
書き下し
其の施 厚き者は其の報 美なり。其の怨 大なる者は其の禍 深し。薄く施して厚く望み、怨を畜えて患い無き者は、古今 未だ之れ有らざるなり。是の故に聖人は其の往く所以を察すれば、則ち其の來たる所以の者を知る。聖人の道は、猶お衢に中して尊を致すがごとし。過ぐる者 斟酌して、多少 同じからざるも、各々其の宜しき所を得。是の故に一人を得るは、百人を得る所以なり。人 其の上に願う所を以て、以て其の下に交われば、誰か戴かざらん。其の下に欲する所を以て、以て其の上に事えば、誰か喜ばざらん。『詩』に云う、「茲の一人に媚び、侯の慎德に應ず」と。慎德は大なり、一人は小なり。能く小を善くすれば、其れ能く大を善くせん。
現代語訳
施しの厚い者は報いも美しく、怨みの大きい者は禍も深い。薄く施しておいて厚く望み、怨みを溜めておいて患いのない者は、古今にいない。だから聖人は、自分が何を出したかを調べれば、何が返ってくるかが分かる。聖人の道は、辻の真ん中に酒樽を置くようなものだ。通る者がそれぞれ酌み、多い少ないは同じでなくても、それぞれ自分に適した分を得る。だから一人を得ることが、百人を得るもとになる。人が上に望むことをもって下と交われば、誰が仰がないだろうか。下に望むことをもって上に仕えれば、誰が喜ばないだろうか。『詩』に言う、「この一人を慕い、その慎み深い徳に応じる」。慎み深い徳は大きく、一人は小さい。小さいことを善くできるなら、大きいことも善くできる。
解説
この章句が説くこと
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