淮南子 / 人間訓
齊莊公出獵,有一蟲舉足將搏其輪,問其御曰:「此何蟲也?」對曰:「此所謂螳螂者也。其為蟲也,知進而不知卻,不量力而輕敵。」莊公曰:「此為人,而必為天下勇武矣!」迴車而避之。勇武聞之,知所盡死矣。故田子方隱一老馬而魏國載之,齊莊公避一螳螂而勇武歸之。湯教祝網者,而四十國朝;文王葬死人之骸,而九夷歸之;武王蔭暍人於樾下,左擁而右扇之,而天下懷其德;越王句踐一決獄不辜,援龍淵而切其股,血流至足,以自罰也,而戰武士必其死。
新字:斉荘公出猟,有一虫舉足将搏其輪,問其御曰:「此何虫也?」対曰:「此所謂螳螂者也。其為虫也,知進而不知却,不量力而軽敵。」荘公曰:「此為人,而必為天下勇武矣!」迴車而避之。勇武聞之,知所尽死矣。故田子方隠一老馬而魏国載之,斉荘公避一螳螂而勇武帰之。湯教祝網者,而四十国朝;文王葬死人之骸,而九夷帰之;武王蔭暍人於樾下,左擁而右扇之,而天下懐其徳;越王句践一決獄不辜,援竜淵而切其股,血流至足,以自罰也,而戦武士必其死。
書き下し
齊の莊公 出でて獵す。一蟲有り、足を舉げて將に其の輪を搏たんとす。其の御に問いて曰く「此れ何の蟲ぞや」と。對えて曰く「此れ所謂 螳螂なる者なり。其の蟲爲るや、進むを知りて卻くを知らず、力を量らずして敵を輕んず」と。莊公曰く「此れ人と爲らば、必ず天下の勇武と爲らん」と。車を迴らして之を避く。勇武 之を聞き、死を盡くす所を知れり。故に田子方 一老馬を隱れみて魏國 之を載き、齊の莊公 一螳螂を避けて勇武 之に歸す。湯 網を祝する者に教えて、四十國 朝す。文王 死人の骸を葬りて、九夷 之に歸す。武王 暍人を樾下に蔭れしめ、左に擁して右に之を扇ぎて、天下 其の德を懷う。越王句踐 一たび獄を決して辜なきに、龍淵を援きて其の股を切り、血 流れて足に至る。以て自ら罰するなり。而して戰武士 必ず其れ死せり。
現代語訳
斉の荘公が狩りに出た。一匹の虫が足を上げて車輪に打ちかかろうとしていた。御者に尋ねた。「これは何の虫か」。答えて言った。「これはいわゆる蟷螂です。この虫は、進むことを知って退くことを知らず、力を量らずに敵を軽んじます」。荘公は言った。「これが人であれば、必ず天下の勇者となるだろう」。車を回してこれを避けた。勇武の者たちはこれを聞いて、命を尽くすべき先を知った。だから田子方が一頭の老馬を憐れんで魏の国が彼を戴き、斉の荘公が一匹の蟷螂を避けて勇武の者が帰服した。湯王は網を祈る者に教えを説いて、四十の国が朝見した。文王は行き倒れの骨を葬って、九夷が帰服した。武王は暑気に倒れた人を木陰に入れ、左手で抱えて右手で扇いで、天下がその徳を慕った。越王勾践は一度、罪のない者に判決を下してしまい、龍淵の剣を取って自分の股を切り、血が足まで流れた。自らを罰したのである。そして戦う武士たちは必ず死力を尽くした。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』梁惠王上 第五章吾試みに孟子の策の本末を論ぜん。仁政を民に施し、刑罰を省き、税斂を薄うする、是れ其の第一下手の処にして、夫れより封疆の諸城を撤し、兵は悉く農に帰す。天下の費、兵より甚しきはなし、兵を省かずんば何を以て税斂を薄くせんや。政の民に便なる者は、難易を論ぜず必ず挙行し、士の民を治むるに堪ふる者は、遠近親疎を論ぜず必ず擢用し、務めて民と休息し、民をして我を信戴して休さらしむ。若し一旦三国兵を以て来侵することあらば、大いに国中に令して云く、我方に斯の民を愛育せんと欲す、如何せん隣国の逼迫となり、却つて斯の民を苦悩せしむるに至る、哀しむに堪へず。民等意に任せて出で降り其の性命を全うすべし。我已に此の国に主たり、一死社稷の為めにするあるのみ、敢へて寸歩を退避せずと。果して斯くの如くんば、四方忠義の士、豈に感慨して興起せざらんや。誠に斯くの如くなれば、誰か其の国を奪ふことを得んや。況んや此の時秦楚斉の諸国、国富み兵強く将能なりと雖も、原と民を安んずるを以て心とする者あることなければ、数月ならずして潰走すること必せり。
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史記 高祖本紀趙王敖を廃して宣平侯と為す。是の歳、貴族の楚の昭・屈・景・懐、斉の田氏を関中に徙す。未央宮成る。高祖大いに諸侯群臣を朝し、未央の前殿に置酒す。高祖玉卮を奉じ、起ちて太上皇の為に寿して、曰く、「始め大人常に臣を以て無頼にして、産業を治むる能はず、仲の力むるに如かずと為す。今某の業の就る所仲に孰与(いづれ)ぞ多き。」と。殿上の群臣皆万歳を呼び、大いに笑ひて楽しみと為す。十年十月、淮南王黥布・梁王彭越・燕王盧綰・荊王劉賈・楚王劉交・斉王劉肥・長沙王呉芮皆来りて長楽宮に朝す。春夏事無し。七月、太上皇櫟陽宮に崩ず。楚王・梁王皆来りて葬を送る。櫟陽の囚を赦す。酈邑を更命して新豊と曰ふ。八月、趙の相国陳豨代の地に反す。上曰く、「豨嘗て吾が使と為り、甚だ信有り。代の地は吾の急とする所なり、故に豨を封じて列侯と為し、相国を以て代を守らしむ、今乃ち王黄等と代の地を劫掠す。代の地の吏民は罪有るに非ざるなり。其れ代の吏民を赦せ。」と。九月、上自ら東のかた往きて之を撃つ。邯鄲に至り、上喜びて曰く、「豨南のかた邯鄲に拠りて漳水を阻てず、吾其の能く為す無きを知る。」と。豨の将皆故の賈人なりと聞き、上曰く、「吾之に与ふる所以を知る。」と。乃ち多く金を以て豨の将に啗はす、豨の将多く降る者あり。十一年、高祖邯鄲に在りて豨等を誅すること未だ畢らず、豨の将侯敞万余人を将ゐて游行し、王黄曲逆に軍し、張春河を渡りて聊城を撃つ。漢将軍郭蒙をして斉の将と撃たしめ、大いに之を破る。太尉周勃太原より道して入り、代の地を定む。馬邑に至る、馬邑下らず、即ち攻めて之を残す。豨の将趙利東垣を守る、高祖之を攻むるも、下らず。月余にして、卒高祖を罵る、高祖怒る。城降る、罵る者を出だして之を斬らしめ、罵らざる者は之を原(ゆる)す。
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『新書』連語紂は、天子の後なり、天下を有して宜しく然るべし。苟くも道に背き義を棄て、敬慎を釈てて驕肆を行えば、則ち天下の人、其の之に離るること崩るるが若く、其の之に背くや約せずして期するが若し。夫れ人主たる者、誠に奈何ぞ慎まざらんや。紂将に武王と戦わんとし、紂其の卒を陳ね、左臆右臆、之を鼓するも進まず、皆其の刃を還して、顧みて以て紂に鄉う。紂走りて寝廟の上に還り、身ら闘いて死す、左右肯て助けず。紂の官衛紂の躯を輿して、之を玉門の外に棄つ。民の観る者皆進みて之を蹴り、其の腹を蹈み、其の腎を蹶し、其の肺を践み、其の肝を履む。周の武王乃ち人をして帷して之を守らしむ、民の観る者帷を搴げて入り、石を提げて之にする者猶お未だ止むを肯んぜず。悲しむ可きなり。夫れ埶は民の主たるに、直ちに民と仇を為し、殃忿此くの若し。夫れ民尚お其の躯を践盤す、而るを況んや其の民を有ち政教するをや。羞ずること甚だし。臣竊かに之を聞くに曰く、「善は小にして益無しと謂う可からず、不善は小にして傷無しと謂う可からず」と。夫れ牛の胎と為るや、細きこと鼷鼠の若し、紂の天下を損ずるは、象箸自り始まる。故に小悪も大悪も一類なり、過敗小なりと雖も、皆紂の罪なり。周諺に曰く、「前車覆れば後車戒む」と。
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史記 高祖本紀初め、項羽宋義と北のかた趙を救ふ、項羽の宋義を殺し、代はりて上将軍と為るに及び、諸将黥布皆属し、秦の将王離の軍を破り、章邯を降し、諸侯皆附く。趙高已に二世を殺すに及び、人をして来らしめ、約して関中に分王せんと欲す。沛公以て詐りと為し、乃ち張良の計を用ゐ、酈生・陸賈をして往きて秦の将に説き、啗はすに利を以てせしめ、因りて武関を襲攻し、之を破る。又秦の軍と藍田の南に戦ひ、益々疑兵の旗幟を張り、諸々の過ぐる所掠鹵するを得る毋からしむ、秦人喜び、秦の軍解く、因りて大いに之を破る。又其の北に戦ひ、大いに之を破る。勝ちに乗じて、遂に之を破る。漢の元年十月、沛公の兵遂に諸侯に先んじて霸上に至る。
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言志四録・言志録 第百八十一条 勢に因りて利導す人情の気機は、一定を以て求むべからず。之を誘へば勧み、之を禁ずれば遏む、順なり。之を導けば反つて阻み、之を抑ふれば益揚る、逆なり。是の故に駕馭の道は、当に其の向背を察し、其の軽重を審らかにし、勢に因りて之を利導し、機に応じて之を激励し、其をして自ら其の然る所以を覚えざらしむべし。此れを之れ得たりと為す。
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『大和俗訓』巻之八・応接一凡夫の心は、たのもしげなし。親みあつけれども、変じやすし。今親むといへど、後を保ちがたし。人の心を頼みてあやまつ事なかれ。一凡人の心の同じからざるは、その面の如し。世間の人ごとに、各心かはれる故に、人のなすわざ、我が思ふ如くならざるは、人の心のありさま、かくの如しと思ひ、我が心に叶はざるとて、人を咎むべからず。これを堪忍して、怒らず、言に出さざれば、無事にして我が心やすく、人にさはりなし。是世に交る道なり。

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