淮南子 / 人間訓
夫戟者,所以攻城也;鏡者,所以照形也。宮人得戟則以刈葵,盲者得鏡則以蓋卮,不知所施之也。故善鄙不同,誹譽在俗;趨舍不同,逆順在君。狂譎不受祿而誅,段干木辭相而顯,所行同也,而利害異者,時使然也。故聖人雖有其志,不遇其世,僅足以容身,何功名之可致也!知天之所為,知人之所行,則有以任於世矣。知天而不知人,則無以與俗交;知人而不知天,則無以與道遊。
新字:夫戟者,所以攻城也;鏡者,所以照形也。宮人得戟則以刈葵,盲者得鏡則以蓋卮,不知所施之也。故善鄙不同,誹誉在俗;趨舎不同,逆順在君。狂譎不受禄而誅,段干木辞相而顕,所行同也,而利害異者,時使然也。故聖人雖有其志,不遇其世,僅足以容身,何功名之可致也!知天之所為,知人之所行,則有以任於世矣。知天而不知人,則無以与俗交;知人而不知天,則無以与道遊。
書き下し
夫れ戟なる者は、城を攻むる所以なり。鏡なる者は、形を照らす所以なり。宮人 戟を得れば則ち以て葵を刈り、盲者 鏡を得れば則ち以て卮を蓋う。之を施す所を知らざればなり。故に善鄙 同じからざるも、誹譽は俗に在り。趨舍 同じからざるも、逆順は君に在り。狂譎は祿を受けずして誅せられ、段干木は相を辭して顯る。行う所は同じくして、利害の異なる者は、時 然らしむるなり。故に聖人 其の志有りと雖も、其の世に遇わずんば、僅かに以て身を容るるに足るのみ。何の功名か致す可けんや。天の爲す所を知り、人の行う所を知らば、則ち以て世に任ずる有らん。天を知りて人を知らざれば、則ち以て俗と交わる無し。人を知りて天を知らざれば、則ち以て道と遊ぶ無し。
現代語訳
戟は城を攻めるための道具である。鏡は姿を映すための道具である。宮女が戟を手にすれば葵を刈るのに使い、目の見えない者が鏡を手にすれば杯の蓋にする。使いどころを知らないからである。良し悪しは同じでなくても、そしられるか称えられるかは世の習わしによる。進むか退くかは同じでなくても、逆らったとされるか従ったとされるかは君主による。狂譎は禄を受けずに誅せられ、段干木は宰相を辞退して名が上がった。行いは同じなのに利害が違うのは、時がそうさせるのである。だから聖人に志があっても、その世に出会わなければ、わずかに身を置けるだけで、どんな功名を挙げられよう。天のなすところを知り、人の行うところを知れば、世で務めを果たせる。天を知って人を知らなければ、世の人と交われない。人を知って天を知らなければ、道と遊べない。
解説
この章句が説くこと
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