淮南子 / 人間訓
夫徐偃王為義而滅,燕子噲行仁而亡,哀公好儒而削,代君為墨而殘。滅亡削殘,暴亂之所致也,而四君獨以仁義儒墨而亡者,遭時之務異也。非仁義儒墨不行,非其世而用之,則為之擒矣。
新字:夫徐偃王為義而滅,燕子噲行仁而亡,哀公好儒而削,代君為墨而残。滅亡削残,暴乱之所致也,而四君独以仁義儒墨而亡者,遭時之務異也。非仁義儒墨不行,非其世而用之,則為之擒矣。
書き下し
夫れ徐の偃王 義を爲して滅び、燕の子噲 仁を行いて亡び、哀公 儒を好みて削られ、代君 墨を爲して殘わる。滅亡削殘は、暴亂の致す所なり。而るに四君 獨り仁義儒墨を以て亡ぶる者は、時の務めに遭うこと異なればなり。仁義儒墨 行われざるに非ず。其の世に非ずして之を用うれば、則ち之が擒と爲るなり。
現代語訳
徐の偃王は義を行って滅び、燕の子噲は仁を行って亡び、魯の哀公は儒を好んで領土を削られ、代の君は墨家を用いて損なわれた。滅び、亡び、削られ、損なわれるのは、ふつう暴虐と混乱がもたらすものである。それなのにこの四人の君だけが仁義や儒墨によって亡んだのは、出会った時代の課題が違ったからである。仁義や儒墨が行われないのではない。その世でないのに用いれば、それに捕らえられてしまうのである。
解説
「仁義儒墨 行われざるに非ず。其の世に非ずして之を用うれば、則ち之が擒と爲るなり」。教えそのものを否定しない、という一線を引いたうえでの結論です。四人の君は暴虐で滅んだのではなく、正しいものを合わない時代に持ち込んで滅んだ。自分が信じているものほど、いつ使うかを間違えます。淮南子が諸家の教えを並べて扱う理由も、この一行に出ています。
この章句が説くこと
徐の偃王義を為して滅び燕の子噲仁を行いて亡ぶ哀公儒を好みて削られ代君墨を為して残わる滅亡削残は暴乱の致す所なり四君独り仁義儒墨を以て亡ぶる者は時の務めに遭うこと異なればなり仁義儒墨行われざるに非ず其の世に非ずして之を用うれば則ち之が擒と為るなり時
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