淮南子 / 人間訓
此能以知知矣,而未能以知不知也;能勇於敢,而未能勇於不敢也。凡有道者,應卒而不乏,遭難而能免,故天下貴之。今知所以自行也,而未知所以為人行也,其所論未之究者也。人能由昭昭於冥冥,則幾於道矣。詩曰:「人亦有言,無哲不愚。」此之謂也。
新字:此能以知知矣,而未能以知不知也;能勇於敢,而未能勇於不敢也。凡有道者,応卒而不乏,遭難而能免,故天下貴之。今知所以自行也,而未知所以為人行也,其所論未之究者也。人能由昭昭於冥冥,則幾於道矣。詩曰:「人亦有言,無哲不愚。」此之謂也。
書き下し
此れ能く知を以て知れり。而れども未だ知を以て知らざること能わざるなり。敢えてするに勇なり。而れども未だ敢えてせざるに勇なること能わざるなり。凡そ道有る者は、卒に應じて乏しからず、難に遭いて能く免る。故に天下 之を貴ぶ。今 自ら行う所以を知るも、未だ人の爲に行う所以を知らざるは、其の論ずる所 未だ之を究めざる者なり。人 能く昭昭に由りて冥冥ならば、則ち道に幾し。詩に曰く「人も亦た言えること有り、哲として愚ならざるは無し」と。此れの謂いなり。
現代語訳
これは知恵によって知ることはできていても、知恵によって知らずにおくことができていない。あえて行う勇はあっても、あえて行わない勇がまだない。およそ道を得た者は、急な出来事に応じて困らず、難に遭っても免れる。だから天下がこれを貴ぶ。いま、自分がどう行うかは知っていても、人のためにどう行うかを知らないなら、その論ずるところはまだ究まっていない。人が明るいところから暗いところへ入っていけるなら、道に近い。詩に「人もまた言うことがある、賢い者で愚かに見えない者はない」とある。このことである。
解説
前の章の秦牛缺を受けた評です。彼は知っていたが、知らずにおくことができなかった。「敢えてするに勇なり。而れども未だ敢えてせざるに勇なること能わざるなり」——やる勇気より、やらない勇気のほうが後から要る。「哲として愚ならざるは無し」。賢い者ほど、愚かに見えるところを持っている、という詩の一句で締められます。
この章句が説くこと
此れ能く知を以て知れり而れども未だ知を以て知らざること能わざるなり敢えてするに勇なり而れども未だ敢えてせざるに勇なること能わざるなり凡そ道有る者は卒に応じて乏しからず難に遭いて能く免る人能く昭昭に由りて冥冥ならば則ち道に幾し人も亦た言えること有り哲として愚ならざるは無し抑制
関連する章句
-
『武士訓』卷二・第8段武士は勇をうちにふくみて。外にあらはさゞること本意なり。文武を兼學て後自得すべし。但し武道にのみこゝろを用る者。年齡にて。心術ねれざるうちは。裏に勇をふくめば。かならず表にも見ゆるなり。古語に珠藏而川媚。玉韞而山輝といへるごとし。これを怯弱の者は。うわさものなどと見あやまつたぐひあり。又生得暴惡にして不義の徒もあり。おの〳〵言行をためしみて後さとすべし。今の俗をみるに。和愛ある人は柔弱に。勇敢の人は麁暴なり。こゝをもつて。前にいへるごとく。はじめに書をよませて道をしらしめ。後に武術をならはすべし。かくのごとくまなぶときは。柔弱麁暴二つのゐえ有べからず。
-
『呻吟語』外篇・品藻・至勇は氣無し小勇は噭燥、巧勇は色笑、大勇は沉毅、至勇は氣無し。
-
『童子問』卷下問ふ、王陽明、徐成之に答ふる二書に自ら謂ふ、天下朱を是とし陸を非とすること、論定まること既に久し。一旦之に反するは難しと為す。姑く調停両可の説を為して、人をして自ら思うて之を得しむと。如何。曰く、夫れ勇は断に生じ、断は明に生じ、明は智に生じ、智は学を以て大なり。苟も之を知ること明らかならば、則ち是を是とし非を非とし、一刀両断にして、少しも仮借することを得ず。故に孟子曰く、予豈に弁を好まんや、予已むことを得ざるなりと。陽明の人と為りや、聡明絶倫にして、古今に縦にす。二公と雖も、及ばざること遠く甚だし。然れども学問空疎にして、磨励の功甚だ少なし。而して其の学本禅学に得て、孔孟の宗旨に於ては、実に数塵なり。故に其の書含糊衡決にして、二公の肯綮に中ること多きを得ず。朱門の為に廻護するに似たり。但書中の所謂重脊にして叛孔を厭はずといふ数句は、実に今の学者の真病に中る。
-
『文武訓』武訓下一勇者は外をあらくせず。荀子が、能く定つて後能く応ずといへるが如くなるべし。いふ意は、敵にむかひては、心をしづかに定めてうごかさずして、よく敵に勝つ。外に気をうごかして、かるがるしくさわがしきは、内に敵に応ずべき根なし。人に勝ちがたし。
-
『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・生くべき時に生き死すべき時に死すされど生くべき時に生き、死すべき時に死するは真の勇なり』と。又た泰西の識者の、肉体の勇と道徳の勇とを区別するが如きは、我国人も亦たつとに之を為す。いやしくも士林に在る者は、小少より既に大勇と匹夫の勇とを弁知せざるものなかりしならん。剛毅、大胆、自若、勇猛の徳性は、青年武士の嚮往する所にして、彼等は実例に則り、実行に由り、世の最も尊尚する此徳を磨厲して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の児童と雖、なお母の懐に在りて、武功譚、英雄物語に耳を傾け、もし苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、継ぐに『戦場に出でて、腕を断たれなば何如。切腹を命ぜられなば何如』等の属語を以てしたり。
-
『武士道』第十二章 切腹及び敵討・生を求むるは真の大勇真の名誉とは、天の命ずる所のものを成就するの謂ひなり。之れが為に招くの死は必ずや恥辱に非らず。然るに一死以て天の賦与する所を免れんとするが如きは、真に怯懦なりと云ふべし。サア・トマス・ブラウンの奇書『医道宗教』は、英語を以て我国武士道の常に教ふる所と其軌を一にせる訓戒を説破して曰く、『死を軽んずるは勇なり。されど生の死よりも恐るべきに臨んで、敢て生を求むるは真の大勇なり』と。古への名僧の諷言にも、『平生何程口巧者に云ふとも、死にたることの無き侍は、まさかの時に逃げ隠れするものなり』と云ひ、又た『一たび心の中にて死したる者には、真田の槍も為朝の矢も透らず』と。此等の語は、蓋し吾人をして、『我が為に生命を喪ふ者は之を得べし』と云へる大工匠の建てたる殿堂の門に近邇せしむるものに非らずや。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る