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淮南子 / 人間訓

江水之始出於岷山也,可攓衣而越也;及至乎下洞庭,騖石城,經丹徒,起波濤,舟杭一日不能濟也。是故聖人者,常從事於無形之外,而不留思盡慮於成事之內,是故患禍弗能傷也。人或問孔子曰:「顏回何如人也?」曰:「仁人也。丘弗如也。」「子貢何如人也?」曰:「辯人也。丘弗如也。」「子路何如人也?」曰:「勇人也。丘弗如也。」賓曰:「三人皆賢夫子,而為夫子役,何也?」孔子曰:「丘能仁且忍,辯且訥,勇且怯。以三子之能,易丘一道,丘弗為也。」孔子知所施之也。

新字:江水之始出於岷山也,可攓衣而越也;及至乎下洞庭,騖石城,経丹徒,起波濤,舟杭一日不能済也。是故聖人者,常従事於無形之外,而不留思尽慮於成事之内,是故患禍弗能傷也。人或問孔子曰:「顏回何如人也?」曰:「仁人也。丘弗如也。」「子貢何如人也?」曰:「弁人也。丘弗如也。」「子路何如人也?」曰:「勇人也。丘弗如也。」賓曰:「三人皆賢夫子,而為夫子役,何也?」孔子曰:「丘能仁且忍,弁且訥,勇且怯。以三子之能,易丘一道,丘弗為也。」孔子知所施之也。

書き下し

江水の始めて岷山を出づるや、衣を攓げて越ゆ可きなり。下りて洞庭に洞し、石城に騖せ、丹徒を經て、波濤を起こすに至りては、舟杭 一日にして濟る能わざるなり。是の故に聖人なる者は、常に無形の外に從事して、思いを成事の內に留め慮りを盡くさず。是の故に患禍 傷る能わざるなり。人 或いは孔子に問いて曰く「顏回は何如なる人ぞや」と。曰く「仁人なり。丘は如かざるなり」と。「子貢は何如なる人ぞや」。曰く「辯人なり。丘は如かざるなり」と。「子路は何如なる人ぞや」。曰く「勇人なり。丘は如かざるなり」と。賓曰く「三人 皆な夫子より賢れり。而るに夫子の爲に役せらるるは、何ぞや」と。孔子曰く「丘は能く仁にして且つ忍び、辯にして且つ訥、勇にして且つ怯なり。三子の能を以て、丘の一道に易うるは、丘 爲さざるなり」と。孔子は之を施す所を知るなり。

現代語訳

長江が岷山から流れ出たばかりのころは、裾をからげて越えられる。下って洞庭に注ぎ、石城を過ぎ、丹徒を経て、波濤を立てるようになっては、舟でも一日では渡れない。だから聖人は、いつも形にならないうちの外側で手を打ち、すでに起きた事の内側で思いを巡らせ考えを尽くしたりしない。だから禍に傷つけられない。ある人が孔子に尋ねた。「顔回はどういう人ですか」。「仁の人だ。丘は及ばない」。「子貢はどういう人ですか」。「弁の人だ。丘は及ばない」。「子路はどういう人ですか」。「勇の人だ。丘は及ばない」。客が言った。「三人ともあなたより優れているのに、あなたに仕えているのはなぜですか」。孔子は言った。「丘は仁でありながら忍ぶことができ、弁が立ちながら訥することができ、勇がありながら怯むことができる。三人の能力をもって、丘の一つの道と取り替えろと言われても、丘はしない」。孔子は、それをどこで使うかを知っていたのである。

解説

孔子は三度とも「及ばない」と言い切ります。そのうえで、取り替えないとも言う。「仁にして且つ忍び、辯にして且つ訥、勇にして且つ怯」——どれも一つの能力ではなく、その能力を出すか出さないかを選べる状態です。能力そのものでは三人に及ばず、使いどころでは上を行く。「孔子は之を施す所を知るなり」の一行が、この段の答えです。

この章句が説くこと

江水の始めて岷山を出づるや衣を攓げて越ゆ可きなり聖人なる者は常に無形の外に従事して思いを成事の内に留め慮りを尽くさず顏回は仁人なり丘は如かざるなり丘は能く仁にして且つ忍び弁にして且つ訥勇にして且つ怯なり三子の能を以て丘の一道に易うるは丘為さざるなり使いどころ

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