淮南子 / 人間訓
是故毀譽之言,不可不審也。或貪生而反死,或輕死而得生,或徐行而反疾。何以知其然也?魯人有為父報讎於齊者,刳其腹而見其心,坐而正冠,起而更衣,徐行而出門,上車而步馬,顏色不變。其御欲驅,撫而止之曰:「今日為父報讎以出死,非為生也。今事已成矣,又何去之!」追者曰:「此有節行之人,不可殺也。」解圍而去之。
新字:是故毀誉之言,不可不審也。或貪生而反死,或軽死而得生,或徐行而反疾。何以知其然也?魯人有為父報讎於斉者,刳其腹而見其心,坐而正冠,起而更衣,徐行而出門,上車而歩馬,顏色不変。其御欲駆,撫而止之曰:「今日為父報讎以出死,非為生也。今事已成矣,又何去之!」追者曰:「此有節行之人,不可殺也。」解囲而去之。
書き下し
是の故に毀譽の言は、審らかにせざる可からざるなり。或いは生を貪りて反って死し、或いは死を輕んじて生を得、或いは徐かに行きて反って疾し。何を以て其の然るを知るや。魯人に父の爲に讎を齊に報ずる者有り。其の腹を刳きて其の心を見わし、坐して冠を正し、起ちて衣を更え、徐かに行きて門を出で、車に上りて馬を步ましめ、顏色 變ぜず。其の御 驅らんと欲す。撫して之を止めて曰く「今日 父の爲に讎を報じて以て死に出づ。生を爲すに非ざるなり。今 事 已に成れり。又た何ぞ之を去らん」と。追う者曰く「此れ節行有るの人なり。殺す可からざるなり」と。圍みを解きて之を去る。
現代語訳
だから、そしりと褒め言葉は、よく見定めなければならない。生に執着してかえって死ぬことがあり、死を軽んじて生を得ることがあり、ゆっくり行ってかえって速いことがある。どうしてそうと分かるか。魯の人で、父のために斉で仇を討った者がいた。相手の腹を裂いて心臓をあらわにし、座って冠を正し、立って衣を改め、ゆっくり歩いて門を出て、車に乗って馬を歩かせ、顔色ひとつ変えなかった。御者が駆けさせようとした。手で押さえて止めて言った。「今日は父のために仇を討って死に出たのだ。生きるためではない。もう事は済んだ。どうして逃げる必要がある」。追ってきた者たちは言った。「これは節操ある人だ。殺してはならない」。囲みを解いて去っていった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
葉隠・聞書第一古人(こじん)の覚悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云う事あり。それ故に、古老(ころう)は年をかくすといえり。
-
葉隠・聞書第一途中にて俄雨(にわかあめ)にあいて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下(のきした)などを通りても、濡るる濡るる事は替わらざるなり。初めより思いはまりて濡るる濡るる時、心に苦しみなく濡るる濡るる事は同じ。これ万(よろ)づにわたる心得なり。
-
論語・憲問篇子曰く、『士にして居を懐(おも)えば、以て士と為すに足らず。』
-
葉隠・聞書第一何某(なにがし)申し候は、「しおがれ浪人などと云うは、難儀千万(なんぎせんばん)この上なき様に皆人思うて、その期(ご)には殊(こと)の外(ほか)しおがれ草臥(くたび)るる事なり。浪人して後(のち)は左程(さほど)にはなきものなり。今一度(いまいちど)浪人仕(つかまつ)りたし。」と云う。もっともの事なり。死の道も、平生(へいぜい)に死習(しになら)うては、心安(こころやす)く死ぬべき事なり。奉公人の打留(うちどめ)は浪人切腹(せっぷく)に極(きわ)まりたると、兼ねて覚悟すべきなり。災難は前方(ぜんぽう)了簡(りょうけん)したる程には無きものなるを、先を量(はか)つて苦しむは愚かなる事なり。
-
葉隠・聞書第一打返しの仕様(しよう)は、踏懸けて切り殺さるるまでなり。これにて恥(はじ)にならぬなり。仕果(しは)たすべしと思ふゆゑ、間(ま)に合はず。向(むこう)は大勢(おおぜい)などと云ひて時を移し、しまり止(どめ)になる相談に極(きわ)まるなり。相手何千人もあれ、片端(かたはし)より撫切(なでぎ)りと思ひ定めて、立ち向ふまでにて成就(じょうじゅ)なり。多分(たぶん)仕(し)済ますものなり。又(また)浅野殿(あさのどの)浪人(ろうにん)夜討(ようち)も、泉岳寺(せんがくじ)にて腹切らぬが落度(おちど)なり。又主(しゅ)を討たせて、敵(かたき)を討つ事延び延びなり。若(も)し、その内に吉良殿(きらどの)病死の時は残念千万なり。上方衆(かみがたしゅう)は智慧(ちえ)かしこきゆゑ、褒めらるる仕様は上手(じょうず)なれども、長崎喧嘩(ながさきけんか)の様に無分別(むふんべつ)にする事はならぬなり。又曾我殿(そがどの)夜討も殊(こと)の外(ほか)の延引(えんいん)。幕(まく)の紋(もん)見物(けんぶつ)の時、祐成(すけなり)図(ず)をはづしたり。不運の事なり。五郎(ごろう)申し様(よう)見事なり。総(そう)じてかやうの批判(ひはん)はせぬものなれども、これも武道(ぶどう)の吟味(ぎんみ)なれば申すなり。前方(ぜんぽう)に吟味して置かねば、行(ゆ)き当りて分別(ふんべつ)出来(でき)合はぬゆゑ、おおかた恥になり候。話を聞き覚え、物の本を見るも、かねての覚悟のためなり。就中(なかんずく)、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々(ひびよよ)に箇条(かじょう)を立てて吟味すべき事なり。時の行掛(ゆきがか)りにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は別(べつ)なり。死ぬまでなり。これには智慧も業(わざ)も入らぬなり。死ぬまでといふは勝負を考へず、無二無三(むにむざん)に死狂(しにぐる)ひするばかりなり。これにて夢(ゆめ)覚むるなり。
-
説苑・立節越甲斉に至る。雍門子狄之に死せんことを請う。斉王曰わく、「鼓鐸の声未だ聞かず、矢石未だ交えず、長兵未だ接せず、子何ぞ死を務むるや。人臣為るの礼か」と。雍門子狄対えて曰わく、「臣之を聞く、昔者王囿に田す。左轂鳴りて、車右之に死せんことを請う。而して王曰わく、『子何為れぞ死せんとするや』と。車右対えて曰わく、『其の吾が君に鳴りしが為なり』と。王曰わく、『左轂の鳴るは工師の罪なり。子何の事か之有らんや』と。車右曰わく、『臣工師の乗るを見ずして、其の吾が君に鳴るを見るなり』と。遂に頸を刎ねて死す。之有るを知るか」と。斉王曰わく、「之有り」と。雍門子狄曰わく、「今越甲至る、其の吾が君に鳴るや、豈に左轂の下ならんや。車右左轂を以て死す可くして、臣独り越甲を以て死す可からざらんや」と。遂に頸を刎ねて死す。是の日越人甲を引きて七十里を退きて曰わく、「斉王臣有り、鈞しく雍門子狄の如くんば、越の社稷をして血食せざらしめんと擬す」と。遂に甲を引きて帰る。斉王雍門子狄を葬るに上卿の礼を以てす。