淮南子 / 人間訓
何謂毀人而反利之?唐子短陳駢子於齊威王威王欲殺之,陳駢子與其屬出亡,奔薛。孟嘗君聞之,使人以車迎之。至,而養以芻豢黍粱五味之膳,日三至。冬日被裘罽,夏日服絺紵,出則乘牢車,駕良馬。孟嘗君問之曰:「夫子生於齊,長於齊,夫子亦何思於齊?」對曰:「臣思夫唐子者。」孟嘗君曰:「唐子者,非短子者耶?」曰:「是也。」孟嘗君曰:「子何為思之?」對曰:「臣之處於齊也,糲粢之飯,藜藿之羹,冬日則寒凍,夏日則暑傷。自唐子之短臣也,以身歸君,食芻豢,飯黍粢,服輕煖,乘牢良,臣故思之。」此謂毀人而反利之者也。
新字:何謂毀人而反利之?唐子短陳駢子於斉威王威王欲殺之,陳駢子与其属出亡,奔薛。孟嘗君聞之,使人以車迎之。至,而養以芻豢黍粱五味之膳,日三至。冬日被裘罽,夏日服絺紵,出則乗牢車,駕良馬。孟嘗君問之曰:「夫子生於斉,長於斉,夫子亦何思於斉?」対曰:「臣思夫唐子者。」孟嘗君曰:「唐子者,非短子者耶?」曰:「是也。」孟嘗君曰:「子何為思之?」対曰:「臣之処於斉也,糲粢之飯,藜藿之羹,冬日則寒凍,夏日則暑傷。自唐子之短臣也,以身帰君,食芻豢,飯黍粢,服軽煖,乗牢良,臣故思之。」此謂毀人而反利之者也。
書き下し
何をか人を毀りて反って之を利すと謂う。唐子 陳駢子を齊の威王に短ず。威王 之を殺さんと欲す。陳駢子 其の屬と出でて亡げ、薛に奔る。孟嘗君 之を聞き、人をして車を以て之を迎えしむ。至りて、養うに芻豢黍粱五味の膳を以てし、日に三たび至る。冬日には裘罽を被り、夏日には絺紵を服す。出づれば則ち牢車に乘り、良馬を駕す。孟嘗君 之に問いて曰く「夫子 齊に生まれ、齊に長ず。夫子 亦た何をか齊に思う」と。對えて曰く「臣は夫の唐子なる者を思う」と。孟嘗君曰く「唐子なる者は、子を短ぜし者に非ずや」と。曰く「是なり」と。孟嘗君曰く「子 何爲れぞ之を思う」と。對えて曰く「臣の齊に處るや、糲粢の飯、藜藿の羹、冬日は則ち寒凍し、夏日は則ち暑傷す。唐子の臣を短ぜしより、身を以て君に歸し、芻豢を食らい、黍粢を飯し、輕煖を服し、牢良に乘る。臣 故に之を思う」と。此れ人を毀りて反って之を利すと謂う者なり。
現代語訳
人をそしって、かえってその人を利するとはどういうことか。唐子が陳駢子を斉の威王に讒言した。威王は殺そうとした。陳駢子は一族とともに逃げ出し、薛へ走った。孟嘗君はこれを聞いて、人に車で迎えにやらせた。着くと、肉と穀物の整った膳で養い、日に三度届けた。冬には毛皮を着せ、夏には麻の衣を着せた。出かけるときは頑丈な車に乗り、よい馬をつけた。孟嘗君が尋ねた。「あなたは斉に生まれ、斉に育った。斉に思うことは何かありますか」。答えて言った。「私はあの唐子という男を思います」。孟嘗君は言った。「唐子とは、あなたを讒言した者ではないか」。「そうです」。孟嘗君は言った。「なぜその男を思うのか」。答えて言った。「私が斉にいたころは、粗末な飯に豆の葉の汁、冬は凍え、夏は暑さに傷んでおりました。唐子が私を讒言してから、身を君に寄せて、よい肉を食い、よい穀物を食べ、軽く暖かい衣を着て、丈夫な車とよい馬に乗っています。だから思うのです」。これが「人をそしって、かえってその人を利する」である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
-
『大和俗訓』巻之五・言語一人をほめ毀ること、つつしんで過不及なかるべし。人の小悪を大悪に言ひなし、小過を大過に言ひなし、虚なることを実に言ひなすは、讒言なり。又左程なきことを、甚しく人をほめ過すも、正直の道にあらず。へつらひて其人に私するなり。誉めそしること、かるがるしくすべからず。たとへば権量を以て、物の軽重をはかるが如くなるべし。一毫もかろくし重くして、過不及あるべからず。誉むべからざる人をほめ、毀るべからざる人をそしり、或はほめ過し、そしり過すは、ともに不智なり。論語に子貢曰、君子は一言以て智とし、一言以て不智とす。言慎まずんばあるべからずといへり。よき人は、許可をつつしむとて、人をみだりにゆるしほめず。されども、小善をもすてず、一芸をも用ふるは、君子のする所なり。
-
史記 項羽本紀項羽是に由りて始めて諸侯の上将軍と為り、諸侯皆焉に属す。章邯棘原に軍し、項羽漳南に軍し、相持して未だ戦はず。秦の軍数(しばしば)卻(しりぞ)く、二世人をして章邯を譲(せ)めしむ。章邯恐れ、長史欣をして事を請はしむ。咸陽に至り、司馬門に留まること三日、趙高見ず、信ぜざるの心有り。長史欣恐れ、還りて其の軍に走る、敢へて故道に出でず、趙高果たして人をして之を追はしむるも、及ばず。欣軍に至り、報じて曰く、「趙高中に用事す、下に為すべき者無し。今戦ひて能く勝たば、高必ず吾が功を疾妒せん。戦ひて勝つ能はずんば、死を免れず。願はくは将軍孰(つらつら)之を計れ。」と。陳余も亦章邯に書を遺りて曰く、「白起秦の将為り、南のかた鄢郢を征し、北のかた馬服を阬にし、城を攻め地を略すること、勝げて計ふべからず、而るに竟に死を賜はる。蒙恬秦の将為り、北のかた戎人を逐ひ、楡中の地数千里を開くも、竟に陽周に斬らる。何となれば、功多くして、秦尽くは封ずる能はず、因りて法を以て之を誅すればなり。今将軍秦の将為ること三歳、亡失する所十万を以て数ふ、而るに諸侯并び起こること滋(ますます)益々多し。彼の趙高素より諛ふこと日久し、今事急にして、亦二世の之を誅せんことを恐る、故に法を以て将軍を誅して以て責を塞ぎ、人をして更に将軍に代はらしめて以て其の禍を脱せんと欲す。夫れ将軍外に居ること久しく、内に卻(ひま)多し、功有るも亦誅せられ、功無きも亦誅せらる。且つ天の秦を亡ぼすは、愚智と無く皆之を知る。今将軍内に直諫する能はず、外に亡国の将と為る、孤特独立して常に存せんと欲す、豈に哀しからずや。将軍何ぞ兵を還して諸侯と従を為し、約して共に秦を攻め、其の地を分かちて王とし、南面して孤と称せざる。此れ身鈇質(ふしつ)に伏し、妻子僇(りく)と為るに孰与(いづれ)ぞや。」と。章邯狐疑し、陰かに候始成をして項羽に使ひせしめ、約せんと欲す。約未だ成らず、項羽蒲将軍をして日夜兵を引きて三戸を度(わた)らしめ、漳南に軍し、秦と戦ひ、再び之を破る。項羽悉く兵を引きて秦の軍を汙水の上に撃ち、大いに之を破る。
-
『酔古堂剣掃』集醒・謗を造る者は甚だ忙し謗を造る者は甚だ忙しく、謗を受くる者は甚だ閒なり。
-
『春秋左氏伝』成公十六年 晋の政、門多し七月、公尹武公及び諸侯に會して鄭を伐つ。將に行かんとす。姜又公に命ずること初めの如し。公又守を申ねて行く。諸侯の師、鄭の西に次る。我が師督揚に次り、敢へて鄭を過ぎず。子叔聲伯叔孫豹をして逆を晉の師に請はしめ、食を鄭の郊に為る。師逆へて以って至る。聲伯四日食はずして以って之を待ち、使者に食はしめて、而る後に食ふ。諸侯制田に遷る。知武子下軍に佐たり、諸侯の師を以って陳を侵し、鳴鹿に至る。遂に蔡を侵して未だ反らず。諸侯潁上に遷る。戊午、鄭の子罕宵に之に軍し、宋・齊・衞皆軍を失ふ。曹人復た晉に請ふ。晉侯子臧に謂ふ、「反れ。吾而の君を歸さん」と。子臧反り、曹伯歸る。子臧盡く其の邑と卿とを致して、出でず。宣伯郤犨に告げしめて曰く、「魯の季・孟有るは、猶ほ晉の欒・范有るがごときなり。政令是に於いてか成る。今其の謀りて曰く、『晉の政は門多し、從ふ可からざるなり。寧ろ齊・楚に事へん。亡ぶる有るのみ。晉に從ふこと蔑からん』と。若し志を魯に得んと欲せば、請ふ行父を止めて之を殺せ。我蔑を斃して晉に事へん。貳有ること蔑からん。魯貳せずんば、小國必ず睦まじ。然らずんば、歸りて必ず叛かん」と。
-
『家道訓』巻之二・総論中一家の主人たる人は、讒を信ずべからず。凡讒言は、小過を大過に言ひなし、小悪を大悪に言ひなし、似たるを実に言ひなし、無きを有るに言ひなし、或は其の人のきらふ所を知りていからしむる、皆讒言のたくみなる言なり。きく人明らかに察すべし、まよふべからず。才力ある人といへども、讒者には迷ひやすし。かなしむべし。只、智者は惑はず。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る