列子 / 説符篇
其子歸致命。其父曰:「行孔子之言也。」居一年、其子又無故而盲。其後楚攻宋、圍其城、民易子而食之、析骸而炊之、丁壯者皆乘城而戰、死者太半。此人以父子有疾皆免、及圍解而疾俱復。
新字:其子帰致命。其父曰:「行孔子之言也。」居一年、其子又無故而盲。其後楚攻宋、囲其城、民易子而食之、析骸而炊之、丁壮者皆乗城而戦、死者太半。此人以父子有疾皆免、及囲解而疾倶復。
書き下し
其の子歸りて命を致す。其の父曰く、孔子の言を行え、と。居ること一年、其の子も又た故無くして盲す。其の後楚宋を攻め、其の城を圍む。民は子を易えて之を食らい、骸を析きて之を炊ぐ。丁壯なる者は皆な城に乘りて戰い、死者太半なり。此の人は父子に疾有るを以て皆な免る。圍解くるに及びて疾俱に復す。
現代語訳
子は帰って言われたとおりを伝えた。父は言った。「孔子の言葉のとおりにしなさい」。一年たって、その子もまた理由もなく目が見えなくなった。その後、楚が宋を攻め、その城を包囲した。民は子を交換して食べ、骨を割って炊いた。若く力のある者はみな城壁に登って戦い、死者は大半に及んだ。この家の者は父子ともに病があったので、どちらも免れた。包囲が解けると、二人の病はともに治った。
解説
失明は災いではなく、籠城の戦から外れるための条件でした。しかも包囲が解けると二人とも治った。ここまで読めば、孔子の「吉祥だ」は正しかったことになります。ただし、この話の値打ちは的中の見事さではありません。二年にわたって、当事者には災いとしか見えなかったことです。しかも周囲から見れば、孔子の助言に従ったせいで失明したように見える。物事の意味は、事が終わってからしか確定しない。途中で意味を決めてしまうと、たいてい間違えます。人事や事業の判断でも、一年後に評価を下すのは早すぎることがあります。
この章句が説くこと
其の子も又た故無くして盲す民は子を易えて之を食らう父子に疾有るを以て皆な免る
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