淮南子 / 人間訓
周室衰,禮義廢,孔子以三代之道教導於世,其後繼嗣至今不絕者,有隱行也。秦王趙政兼吞天下而亡,智伯侵地而滅,商鞅支解,李斯車裂,三代種德而王,齊桓繼絕而霸。故樹黍者不獲稷,樹怨者無報德。
新字:周室衰,礼義廃,孔子以三代之道教導於世,其後継嗣至今不絶者,有隠行也。秦王趙政兼吞天下而亡,智伯侵地而滅,商鞅支解,李斯車裂,三代種徳而王,斉桓継絶而覇。故樹黍者不獲稷,樹怨者無報徳。
書き下し
周室 衰え、禮義 廢る。孔子 三代の道を以て世に教導す。其の後 繼嗣 今に至るまで絕えざる者は、隱行有ればなり。秦王趙政 天下を兼吞して亡び、智伯 地を侵して滅び、商鞅 支解せられ、李斯 車裂かる。三代は德を種えて王たり、齊桓は絕を繼ぎて霸たり。故に黍を樹うる者は稷を穫らず、怨を樹うる者は德を報いらるること無し。
現代語訳
周王室が衰え、礼義が廃れた。孔子は三代の道をもって世に教え導いた。その後、子孫が今に至るまで絶えないのは、人知れぬ行いがあったからである。秦王趙政は天下を併呑して滅び、智伯は土地を侵して滅び、商鞅は体を裂かれ、李斯は車裂きにされた。夏・殷・周の三代は徳を植えて王となり、斉の桓公は絶えた家を継がせて覇者となった。だから、黍を植えた者は稷を刈り取らず、怨みを植えた者が徳の報いを受けることはない。
解説
「黍を樹うる者は稷を穫らず、怨を樹うる者は德を報いらるること無し」。植えたものしか収穫できない、というだけの一行ですが、直前に並ぶ名前が重い。天下を併呑した秦王、土地を奪った智伯、商鞅、李斯。いずれも大きな成果を挙げて、いずれも同じ結末に行きました。対に置かれるのが、絶えた家を継がせた斉の桓公です。何を植えたかは、その時点では成果の大きさに現れません。
この章句が説くこと
孔子三代の道を以て世に教導す其の後継嗣今に至るまで絶えざる者は隠行有ればなり秦王趙政天下を兼吞して亡び智伯地を侵して滅ぶ商鞅支解せられ李斯車裂かる三代は徳を種えて王たり斉桓は絶を継ぎて覇たり故に黍を樹うる者は稷を穫らず怨を樹うる者は徳を報いらるること無し因果
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