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淮南子 / 人間訓

夫病溼而強之食,病暍而飲之寒,此眾人之所以為養也,而良醫之所以為病也。悅於目,悅於心,愚者之所利也,然而有道者之所辟也。故聖人先忤而後合,眾人先合而後忤。有功者,人臣之所務也;有罪者,人臣之所辟也。或有功而見疑,或有罪而益信,何也?則有功者離恩義,有罪者不敢失仁心也。

新字:夫病溼而強之食,病暍而飲之寒,此眾人之所以為養也,而良医之所以為病也。悅於目,悅於心,愚者之所利也,然而有道者之所辟也。故聖人先忤而後合,眾人先合而後忤。有功者,人臣之所務也;有罪者,人臣之所辟也。或有功而見疑,或有罪而益信,何也?則有功者離恩義,有罪者不敢失仁心也。

書き下し

夫れ溼を病みて之に強いて食わしめ、暍を病みて之に寒を飲ましむるは、此れ眾人の養と爲す所以にして、良醫の病と爲す所以なり。目に悅び、心に悅ぶは、愚者の利とする所なり。然れども有道者の辟くる所なり。故に聖人は先に忤いて後に合し、眾人は先に合して後に忤う。功有る者は、人臣の務むる所なり。罪有る者は、人臣の辟くる所なり。或いは功有りて疑わる、或いは罪有りて益々信ぜらるるは、何ぞや。則ち功有る者は恩義を離れ、罪有る者は敢えて仁心を失わざればなり。

現代語訳

湿りの病にかかった者に無理に食べさせ、暑気あたりの者に冷たいものを飲ませる。これは多くの人が養生だと思っていることで、よい医者が病を招くと見ることである。目に心地よく、心に心地よいものは、愚か者が利とするところである。だが道を得た者は避ける。だから聖人は先に逆らって後で合い、多くの人は先に合わせて後で食い違う。功があるのは臣下が努めるところであり、罪があるのは臣下が避けるところである。それなのに、功があって疑われる者があり、罪があってかえって信じられる者があるのはなぜか。功のある者は恩義から離れており、罪のある者はあえて仁の心を失わなかったからである。

解説

「聖人は先に忤いて後に合し、眾人は先に合して後に忤う」。先に逆らって後で噛み合うのと、先に調子を合わせて後で食い違うのと。どちらを選ぶかという一行です。後半は、この篇のなかでもとりわけ意外な観察になっています。功があるのに疑われ、罪があるのに信じられる。分かれ目は成果ではなく、そこで何を捨てたか——恩義を離れたか、仁の心を残したか、です。

この章句が説くこと

溼を病みて之に強いて食わしめ暍を病みて之に寒を飲ましむるは眾人の養と為す所以にして良医の病と為す所以なり目に悅び心に悅ぶは愚者の利とする所なり然れども有道者の辟くる所なり聖人は先に忤いて後に合し眾人は先に合して後に忤う或いは功有りて疑わる或いは罪有りて益々信ぜらる功有る者は恩義を離れ罪有る者は敢えて仁心を失わざればなり信頼

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