淮南子 / 人間訓
清淨恬愉,人之性也;儀表規矩,事之制也。知人之性,其自養不勃;知事之制,其舉錯不惑。發一端,散無竟,周八極,總一筦,謂之心。見本而知末,觀指而睹歸,執一而應萬,握要而治詳,謂之術。居智所為,行智所之,事智所秉,動智所由,謂之道。道者,置之前而不𨎌,錯之後而不軒,內之尋常而不塞,布之天下而不窕。
新字:清浄恬愉,人之性也;儀表規矩,事之制也。知人之性,其自養不勃;知事之制,其舉錯不惑。発一端,散無竟,周八極,総一筦,謂之心。見本而知末,観指而睹帰,執一而応万,握要而治詳,謂之術。居智所為,行智所之,事智所秉,動智所由,謂之道。道者,置之前而不𨎌,錯之後而不軒,内之尋常而不塞,布之天下而不窕。
書き下し
清淨恬愉は、人の性なり。儀表規矩は、事の制なり。人の性を知れば、其の自ら養うこと勃らず。事の制を知れば、其の舉錯 惑わず。一端を發して、散じて竟まり無く、八極を周り、一筦に總ぶ。之を心と謂う。本を見て末を知り、指を觀て歸を睹、一を執りて萬に應じ、要を握りて詳を治む。之を術と謂う。居りて爲す所を智り、行きて之く所を智り、事として秉る所を智り、動きて由る所を智る。之を道と謂う。道なる者は、之を前に置きて𨎌からず、之を後に錯きて軒からず、之を尋常に內れて塞がらず、之を天下に布きて窕からず。
現代語訳
清らかで静かで安らかなのは、人の本性である。手本ときまりは、事の仕組みである。人の本性を知れば、自分を養うのに無理がない。事の仕組みを知れば、動くも止まるも迷わない。一つの端を発して、散じては際限がなく、八方の果てを巡って、一つの管に束ねる。これを心という。根本を見て末を知り、指し示すものを見て行き着く先を見、一つを握って万に応じ、要をつかんで細部を治める。これを術という。留まっては何をすべきかを知り、行っては行く先を知り、事に当たっては拠るところを知り、動いては由るところを知る。これを道という。道というものは、前に置いても窮屈でなく、後ろに置いても高すぎず、日常のわずかな場に入れても塞がらず、天下に広げても隙間ができない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・為政篇子游孝を問う。子曰く、「今の孝者は、是れ能く養うと謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り。敬せずんば、何を以て別たんや。」
-
言志四録・南洲手抄信を人に取るは難し。人は口を信ぜずして躬を信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。
-
徒然草・第235段主ある家には、すゞろなる人、心の儘に入り来る事なし。主なき所には道行人みだりに立ち入り、狐梟やうの者も、人気にせかれねば、所得顔に入り住み、木精などいふけしからぬ形もあらはるゝものなり。また鏡には、色形なき故に、よろづの影きたりてうつる。鏡に色形あらましかば、うつらざらまし。虚空よくものを容る。われらが心に、念々のほしきまゝにきたり浮ぶも、心といふものの無きにやあらむ。心にぬしあらましかば、胸のうちに若干のことは入りきたらざらまし。
-
論語・微子篇柳下恵、士師と為り、三たび黜けらる。人曰く、「子未だ以て去る可からざるか。」曰く、「道を直くして人に事うれば、焉くに往くとして三たび黜けられざらん。道を枉げて人に事うれば、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。」
-
孫子・始計篇道とは、民をして上と意を同じくし、之と死す可く、之と生く可くして、危きを畏れざらしむるなり。
-
論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」