淮南子 / 說林訓
弓先調而後求勁,馬先馴而後求良,人先信而後求能。陶人棄索,車人掇之;屠者棄銷,而鍛者拾之;所緩急異也。百星之明不如一月之光,十牖之開不如一戶之明。矢之於十步貫兕甲,及其極,不能入魯縞。太山之高,背而弗見;秋豪之末,視之可察。山生金,反自刻;木生蠹,反自食;人生事,反自賊。巧治不能鑄木,工巧不能斲金者,形性然也。白玉不琢,美珠不文,質有餘也。
新字:弓先調而後求勁,馬先馴而後求良,人先信而後求能。陶人棄索,車人掇之;屠者棄銷,而鍛者拾之;所緩急異也。百星之明不如一月之光,十牖之開不如一戸之明。矢之於十歩貫兕甲,及其極,不能入魯縞。太山之高,背而弗見;秋豪之末,視之可察。山生金,反自刻;木生蠹,反自食;人生事,反自賊。巧治不能鋳木,工巧不能斲金者,形性然也。白玉不琢,美珠不文,質有余也。
書き下し
弓は先ず調えて而る後に勁きを求め、馬は先ず馴らして而る後に良きを求め、人は先ず信じて而る後に能を求む。陶人 索を棄つれば、車人 之を掇う。屠者 銷を棄つれば、鍛者 之を拾う。緩急とする所の異なればなり。百星の明は一月の光に如かず、十牖の開くは一戶の明に如かず。矢の十步に於けるや兕甲を貫くも、其の極に及びては、魯縞にも入る能わず。太山の高きも、背けば見えず。秋豪の末も、之を視れば察す可し。山 金を生じて、反って自ら刻まる。木 蠹を生じて、反って自ら食まる。人 事を生じて、反って自ら賊わる。巧治も木を鑄る能わず、工巧も金を斲る能わざるは、形性 然ればなり。白玉は琢かず、美珠は文らず。質 餘り有ればなり。
現代語訳
弓はまず整えてから強さを求め、馬はまず馴らしてからよさを求め、人はまず信じてから才を求める。陶工が捨てた縄を、車大工は拾う。肉屋が捨てた金くずを、鍛冶屋は拾う。急ぐものと後回しにするものが違うからである。百の星の明るさも一つの月の光に及ばず、十の窓を開けるより一つの戸を開けたほうが明るい。矢は十歩の距離なら兕の甲も貫くが、力の尽きるところでは魯の薄絹さえ貫けない。泰山の高さも、背を向ければ見えない。秋の獣毛の先も、目を向ければ見分けられる。山は金を生んで、かえって自分が削られる。木は虫を生んで、かえって自分が食われる。人は事を起こして、かえって自分が損なわれる。腕のよい鋳物師も木は鋳られず、腕のよい大工も金は削れない。形と性がそうだからである。白玉は磨かず、美しい真珠は飾らない。質そのものが十分だからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之五・信一子曰く、人にして信無くんば其の可なるを知らざるなり。人の心信実なるは、万事の基にして、人にまじはるの道なり。若信なければ、万事すべて、偽なれば、人にまじはりて、如何ぞ善なるべき。たとへば大車の荷車に輗なければ、牛の首に車をかくる事ならず。小車の乗車に軏なければ、車を馬にかくる事ならず。車と牛馬とは別の物なれど、輗と軏とあれば、是を以て牛馬に車をかけて引かしむべし。若此ものなくんば、何を以てか車をやるべきや。人にまじはるに信ならざるも、亦かくの如し。人と我とは、二物なり。信実を以て交はれば、互に感通して、道行はる。若信なくして人と交はらば、我人にまことなく、人我を信ぜず。彼と我と感通せず。何を以てか道行はれんや。
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『十善法語』巻第十一・不邪見戒之中総シテ心ノアル処ハ形ノアル処。形ノ生スル処ニ其心生スルシヤ。此女人自ノ眉目鼻口ノソナヘニ自執着セシ故。一息截断ノ時。其着セル心還テ己カ面上ニ生シ。虫ト為テ暫モ離レ得ヌシヤ。摩訶羅ト云ハ梵語デ。此ニハ老ナリ愚ナリト翻スル。愚人ノ年ヲ重ネタル者ノ名シヤ。看ヨ。正法ハ智愚ヲ択ハヌ。唯信アル処ニ此縁起実相ハ顕ルルシヤ。今日ノ者モ純一ニ心ヲ寄セハ。仮令摩訶羅ナリトモ。甚深ノ法ニ通達スヘキシヤ。
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『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
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