淮南子 / 說林訓
一目之羅,不可以得鳥;無餌之釣,不可以得魚;遇士無禮,不可以得賢。兔絲無根而生,蛇無足而行,魚無耳而聽,蟬無口而鳴,有然之者也。鶴壽千歲,以極其游;蜉朝生而暮死,而盡其樂。紂醢梅伯,文王與諸侯構之;桀辜諫者,湯使人哭之。狂馬不觸木,猘狗不自投於河,雖聾蟲而不自陷,又況人乎!愛熊而食之鹽,愛獺而飲之酒,雖欲養之,非其道。心所說,毀舟為杕;心所欲,毀鐘為鐸。管子以小辱成大榮,蘇秦以百誕成一誠。
新字:一目之羅,不可以得鳥;無餌之釣,不可以得魚;遇士無礼,不可以得賢。兔糸無根而生,蛇無足而行,魚無耳而聴,蝉無口而鳴,有然之者也。鶴寿千歳,以極其游;蜉朝生而暮死,而尽其楽。紂醢梅伯,文王与諸侯構之;桀辜諫者,湯使人哭之。狂馬不触木,猘狗不自投於河,雖聾虫而不自陥,又況人乎!愛熊而食之塩,愛獺而飲之酒,雖欲養之,非其道。心所説,毀舟為杕;心所欲,毀鐘為鐸。管子以小辱成大栄,蘇秦以百誕成一誠。
書き下し
一目の羅は、以て鳥を得可からず。餌無きの釣は、以て魚を得可からず。士に遇いて禮無きは、以て賢を得可からず。兔絲は根無くして生じ、蛇は足無くして行き、魚は耳無くして聽き、蟬は口無くして鳴く。然らしむる者有ればなり。鶴は千歲を壽として、以て其の游を極む。蜉は朝に生じて暮に死すれども、其の樂しみを盡くす。紂 梅伯を醢にして、文王 諸侯と之を構う。桀 諫むる者を辜にして、湯 人をして之を哭せしむ。狂馬も木に觸れず、猘狗も自ら河に投ぜず。聾蟲と雖も自ら陷らず。又た況んや人をや。熊を愛して之に鹽を食わしめ、獺を愛して之に酒を飲ましむるは、之を養わんと欲すと雖も、其の道に非ず。心の說ぶ所、舟を毀ちて杕と爲し、心の欲する所、鐘を毀ちて鐸と爲す。管子は小辱を以て大榮を成し、蘇秦は百誕を以て一誠を成す。
現代語訳
網の目が一つでは鳥は捕れない。餌のない釣り針では魚は釣れない。士に会って礼がなければ、賢者は得られない。ねなしかずらは根がなくても生え、蛇は足がなくても進み、魚は耳がなくても聞き、蝉は口がなくても鳴く。そうさせているものがあるのである。鶴は千年を生きて、その遊びを極める。蜉蝣は朝に生まれて夕に死ぬが、その楽しみを尽くす。紂が梅伯を塩漬けにすると、文王は諸侯とともに紂に構えた。桀が諫めた者を裂くと、湯は人をやってこれを哭させた。狂った馬でも木にはぶつからず、狂犬でも自分から川に飛び込まない。虫けらでさえ自分から陥りはしない。まして人ならなおさらである。熊をかわいがって塩を食わせ、獺をかわいがって酒を飲ませるのは、養おうとしていても、その道ではない。心が喜ぶままに、舟を壊して舵にする。心が欲するままに、鐘を壊して鐸にする。管子は小さな恥を通して大きな栄誉を成し、蘇秦は百のいつわりを通して一つの誠を成した。
解説
この章句が説くこと
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