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淮南子 / 說林訓

有山無林,有谷無風,有石無金。滿堂之坐,視鉤各異,於環帶一也。獻公之賢,欺於驪姬;叔孫之智,欺於豎牛。故鄭詹入魯,春秋曰「佞人來,佞人來」。君子有酒,鄙人鼓缶,雖不見好,亦不見醜。人性便絲衣帛,或射之則被鎧甲,為其所不便以得所便。輻之入轂,各值其鑿,不得相通,猶人臣各守其職,不得相干。嘗被甲而免射者,被而入水;嘗抱壺而度水者,抱而蒙火;可謂不知類矣。君子之居民上,若以腐索御奔馬,若蹍薄冰,蛟在其下,若入林而遇乳虎。

新字:有山無林,有谷無風,有石無金。満堂之坐,視鉤各異,於環帯一也。献公之賢,欺於驪姬;叔孫之智,欺於豎牛。故鄭詹入魯,春秋曰「佞人来,佞人来」。君子有酒,鄙人鼓缶,雖不見好,亦不見醜。人性便糸衣帛,或射之則被鎧甲,為其所不便以得所便。輻之入轂,各值其鑿,不得相通,猶人臣各守其職,不得相干。嘗被甲而免射者,被而入水;嘗抱壺而度水者,抱而蒙火;可謂不知類矣。君子之居民上,若以腐索御奔馬,若蹍薄冰,蛟在其下,若入林而遇乳虎。

書き下し

山有りて林無く、谷有りて風無く、石有りて金無し。滿堂の坐、鉤を視れば各々異なるも、環帶に於いては一なり。獻公の賢も、驪姬に欺かれ、叔孫の智も、豎牛に欺かる。故に鄭詹 魯に入るや、春秋に曰く「佞人 來たる、佞人 來たる」と。君子に酒有り、鄙人 缶を鼓つ。好しと見られずと雖も、亦た醜と見られず。人の性は絲を便として帛を衣る。或いは之を射れば則ち鎧甲を被る。其の便ならざる所を爲して以て便なる所を得るなり。輻の轂に入るは、各々其の鑿に值り、相い通ずるを得ず。猶お人臣の各々其の職を守りて、相い干すを得ざるがごとし。嘗て甲を被て射を免れし者、被て水に入り、嘗て壺を抱きて水を度りし者、抱きて火を蒙るは、類を知らずと謂う可し。君子の民の上に居るは、腐索を以て奔馬を御するが若く、薄冰を蹍み、蛟 其の下に在るが若く、林に入りて乳虎に遇うが若し。

現代語訳

山があっても林のないところがあり、谷があっても風の通らないところがあり、石があっても金を含まないところがある。座敷いっぱいの客が帯留めを見ればそれぞれ違うが、帯を締めるという点では一つである。献公ほどの賢者も驪姫に欺かれ、叔孫ほどの知者も豎牛に欺かれた。だから鄭詹が魯に入ったとき、春秋は「佞人来たる、佞人来たる」と書いた。君子には酒があり、田舎者は瓶を叩いて拍子を取る。上等とは見られなくても、みっともないとも見られない。人の性として絹は着心地がよいから絹の衣を着る。だが射かけられれば鎧を着る。着心地の悪いものを身につけて、都合のよさを得るのである。輻が轂に入るのは、それぞれ自分の穴に当たり、互いに通じ合わない。臣下がそれぞれ自分の職を守り、互いに侵さないのと同じである。かつて鎧を着て矢を免れた者が、鎧を着たまま水に入り、かつて壺を抱いて川を渡った者が、壺を抱いたまま火に飛び込むのは、類を知らないというべきである。君子が民の上に立つのは、腐った縄で暴れ馬を御するようであり、蛟の潜む薄氷を踏むようであり、林に入って子を連れた虎に出会うようである。

解説

「君子の民の上に居るは、腐索を以て奔馬を御するが若し」。上に立つとは、そういう危うさの上に座ることだ、と締められます。手前に置かれた失敗例が具体的です。鎧で矢を免れた者が鎧のまま水に入り、壺を抱いて川を渡った者が壺を抱いて火に飛び込む。一度うまくいった手を、場面を変えても使ってしまう。「輻の轂に入るは、各々其の鑿に值り、相い通ずるを得ず」を臣下の職分に直結させているのも、この篇では珍しくはっきりした比喩です。

この章句が説くこと

満堂の坐鉤を視れば各々異なるも環帯に於いては一なり献公の賢も驪姬に欺かれ叔孫の智も豎牛に欺かる輻の轂に入るは各々其の鑿に值り猶お人臣の各々其の職を守りて相い干すを得ざるがごとし嘗て甲を被て射を免れし者被て水に入るは類を知らずと謂う可し君子の民の上に居るは腐索を以て奔馬を御するが若し職分

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