淮南子 / 說林訓
視書,上有酒者,下必有肉,上有年者,下必有月,以類而取之。蒙塵而眯,固其理也;為其不出戶而堁之也。屠者羹藿,為車者步行,陶者用缺盆,匠人處狹廬,為者不必用,用者弗肯為。轂立,三十輻各盡其力,不得相害。使一輻獨入,眾輻皆棄,豈能致千里哉?夜行者掩目而前其手,涉水者解其馬載之舟,事有所宜,而有所不施。橘柚有鄉,雚葦有叢。獸同足者相從游,鳥同翼者相從翔。田中之潦,流入於海;附耳之言,聞於千里也。
新字:視書,上有酒者,下必有肉,上有年者,下必有月,以類而取之。蒙塵而眯,固其理也;為其不出戸而堁之也。屠者羹藿,為車者歩行,陶者用欠盆,匠人処狭廬,為者不必用,用者弗肯為。轂立,三十輻各尽其力,不得相害。使一輻独入,眾輻皆棄,豈能致千里哉?夜行者掩目而前其手,渉水者解其馬載之舟,事有所宜,而有所不施。橘柚有鄉,雚葦有叢。獣同足者相従游,鳥同翼者相従翔。田中之潦,流入於海;附耳之言,聞於千里也。
書き下し
書を視るに、上に酒有る者は、下に必ず肉有り。上に年有る者は、下に必ず月有り。類を以て之を取るなり。塵を蒙りて眯するは、固より其の理なり。其の戶を出でずして之を堁するが爲なり。屠者は藿を羹にし、車を爲る者は步行し、陶者は缺盆を用い、匠人は狹廬に處る。爲る者は必ずしも用いず、用うる者は肯えて爲らず。轂 立ちて、三十の輻 各々其の力を盡くし、相い害するを得ず。一輻をして獨り入らしめ、眾輻 皆な棄てなば、豈に能く千里を致さんや。夜行く者は目を掩いて其の手を前にし、水を涉る者は其の馬を解きて之を舟に載す。事に宜しき所有りて、施さざる所有り。橘柚に鄉有り、雚葦に叢有り。獸は足を同じくする者 相い從いて游び、鳥は翼を同じくする者 相い從いて翔る。田中の潦は、海に流入す。耳に附くの言は、千里に聞こゆ。
現代語訳
書物を見るに、上に酒とあれば下には必ず肉とある。上に年とあれば下には必ず月とある。類によって読み取るのである。埃をかぶって目に入るのは当然の道理だ。戸を出ないまま、家の中で土ぼこりを立てているからである。肉屋は豆の葉の汁を吸い、車を作る者は歩き、陶工は欠けた盆を使い、大工は狭い家に住む。作る者は必ずしも使わず、使う者は自分では作ろうとしない。轂が立つのは、三十本の輻がそれぞれ力を尽くし、互いを損なわないからである。一本の輻だけを入れて、他の輻をみな捨ててしまえば、どうして千里を行けよう。夜道を行く者は目を閉じて手を前に出し、川を渡る者は馬を解いて舟に載せる。物事にはふさわしい場があり、当てはめてはならない場がある。橘や柚には育つ土地があり、荻や葦には生える茂みがある。獣は足の同じものが連れ立って歩き、鳥は翼の同じものが連れ立って飛ぶ。田の中のたまり水も、やがて海に流れ込む。耳もとの囁きも、千里に聞こえる。
解説
この章句が説くこと
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