淮南子 / 說林訓
日月不並出,狐不二雄,神龍不匹,猛獸不群,鷙鳥不雙。循繩而斲則不過,懸衡而量則不差,植表而望則不惑。損年則嫌于弟,益年則疑于兄,不如循其理,若其當。人不見龍之飛,舉而能高者,風雨奉之。蠹眾則木折,隙大則牆壞。懸垂之類,有時而隧;枝格之屬,有時而弛。當凍而不死者,不失其適;當暑而不暍者,不亡其適;未嘗適,亡其適。湯沐具而蟣虱相弔,大廈成而燕雀相賀,憂樂別也。柳下惠見飴,曰可以養老;盜跖見飴,曰可以黏牡;見物同,而用之異。
新字:日月不並出,狐不二雄,神竜不匹,猛獣不群,鷙鳥不双。循縄而斲則不過,懸衡而量則不差,植表而望則不惑。損年則嫌于弟,益年則疑于兄,不如循其理,若其当。人不見竜之飛,舉而能高者,風雨奉之。蠹眾則木折,隙大則牆壊。懸垂之類,有時而隧;枝格之属,有時而弛。当凍而不死者,不失其適;当暑而不暍者,不亡其適;未嘗適,亡其適。湯沐具而蟣虱相弔,大廈成而燕雀相賀,憂楽別也。柳下恵見飴,曰可以養老;盗跖見飴,曰可以黏牡;見物同,而用之異。
書き下し
日月は並び出でず、狐は雄を二つにせず、神龍は匹あらず、猛獸は群れず、鷙鳥は雙ばず。繩に循いて斲れば則ち過たず、衡を懸けて量れば則ち差わず、表を植てて望めば則ち惑わず。年を損すれば則ち弟に嫌われ、年を益せば則ち兄に疑わる。其の理に循い、其の當に若くに如かず。人は龍の飛ぶを見ず。舉がりて能く高きは、風雨 之を奉ずればなり。蠹 眾ければ則ち木 折れ、隙 大なれば則ち牆 壞る。懸垂の類は、時有りて隧つ。枝格の屬は、時有りて弛む。凍に當たりて死せざる者は、其の適を失わざればなり。暑に當たりて暍せざる者は、其の適を亡わざればなり。未だ嘗て適せざれば、其の適を亡う。湯沐 具わりて蟣虱 相い弔い、大廈 成りて燕雀 相い賀す。憂樂 別なればなり。柳下惠 飴を見て曰く「以て老を養う可し」と。盜跖 飴を見て曰く「以て牡を黏す可し」と。物を見るは同じくして、之を用うるは異なる。
現代語訳
日と月は並んで出ず、狐に雄が二匹並ぶことはなく、神龍に連れ合いはなく、猛獣は群れず、猛禽は番わない。墨縄に沿って削れば誤らず、秤を吊るして量れば狂わず、標柱を立てて望めば迷わない。年を減らして言えば弟と思われて嫌われ、年を増して言えば兄と疑われる。ありのままの筋に従い、実際に当たるようにするのが一番である。人は龍が飛ぶのを見ない。高く上がれるのは、風雨が支えているからである。虫が多ければ木は折れ、隙間が大きければ塀は壊れる。吊り下がるものはいつか落ち、突き出た枝はいつか緩む。凍える中で死なないのは、ほどよさを失わないからである。暑さの中で倒れないのは、ほどよさを失わないからである。ほどよさを保ったことがなければ、そのほどよさを失う。湯浴みの支度が整えば虱たちは弔い合い、大きな屋敷が建てば燕や雀は祝い合う。憂いと楽しみが立場で分かれるからである。柳下恵は飴を見て「老人を養える」と言い、盗跖は飴を見て「錠前をこじるのに使える」と言った。見るものは同じでも、使い道は違うのである。
解説
この章句が説くこと
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