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淮南子 / 說林訓

遺腹子不思其父,無貌于心也;不夢見像,無形于目也。蝮蛇不可為足,虎豹不可使緣木。馬不食脂,桑扈不啄粟,非廉也。秦通崤塞,而魏築城也。飢馬在廄,寂然無聲;投芻其旁,爭心乃生。引弓而射,非弦不能發矢,弦之為射,百分之一也。道德可常,權不可常,故遁關不可復,亡犴不可再。環可以喻員,不必以輪;絛可以為繶,不必以紃。

新字:遺腹子不思其父,無貌于心也;不夢見像,無形于目也。蝮蛇不可為足,虎豹不可使縁木。馬不食脂,桑扈不啄粟,非廉也。秦通崤塞,而魏築城也。飢馬在廄,寂然無声;投芻其旁,争心乃生。引弓而射,非弦不能発矢,弦之為射,百分之一也。道徳可常,権不可常,故遁関不可復,亡犴不可再。環可以喻員,不必以輪;絛可以為繶,不必以紃。

書き下し

遺腹の子は其の父を思わず、心に貌無ければなり。夢に像を見ざるは、目に形無ければなり。蝮蛇は足を爲す可からず、虎豹は木に緣らしむ可からず。馬は脂を食らわず、桑扈は粟を啄まず。廉なるに非ざるなり。秦 崤塞を通じて、魏 城を築くなり。飢えたる馬 廄に在れば、寂然として聲無し。芻を其の旁に投ずれば、爭心 乃ち生ず。弓を引きて射るに、弦に非ざれば矢を發する能わず。弦の射を爲すは、百分の一なり。道德は常とす可きも、權は常とす可からず。故に遁關は復たす可からず、亡犴は再びす可からず。環は以て員を喻う可し、必ずしも輪を以てせず。絛は以て繶と爲す可し、必ずしも紃を以てせず。

現代語訳

父の死後に生まれた子は父を思わない、心にその面影がないからである。夢に姿を見ないのは、目にその形がないからである。蝮に足をつけることはできず、虎や豹に木登りをさせることはできない。馬は脂を食わず、桑扈は粟をついばまない。清廉だからではない。秦が崤の関を開けば、魏は城を築く。飢えた馬が厩にいても、静かで声もない。そこへ飼い葉を投げ入れれば、争う心が生まれる。弓を引いて射るとき、弦がなければ矢は放てない。だが弦が射に果たす役割は、百分の一である。道徳は常のものにできるが、臨機の処置は常のものにできない。だから関所破りは二度は通じず、獄を逃れることは二度はできない。輪の形は環でたとえられ、必ずしも車輪でなくてよい。組紐は縁飾りにできて、必ずしも丸紐でなくてよい。

解説

「弦の射を爲すは、百分の一なり」。弦がなければ矢は飛ばない。それでも射のうちで弦が占める割合は百分の一だと言い切ります。欠かせないことと、大きいことは別だ、という区別です。手前の「芻を其の旁に投ずれば、爭心 乃ち生ず」も鋭い。飢えた馬たちは静かにしていたのに、餌を投げ込んだ途端に争いが始まる。争いを生んだのは馬ではなく、投げ入れ方のほうです。

この章句が説くこと

遺腹の子は其の父を思わず心に貌無ければなり馬は脂を食らわず桑扈は粟を啄まず廉なるに非ざるなり飢えたる馬廄に在れば寂然として声無し芻を其の旁に投ずれば争心乃ち生ず弦の射を為すは百分の一なり道徳は常とす可きも権は常とす可からず必須

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