淮南子 / 說林訓
與死者同病,難為良醫;與亡國同道,難與為謀。為客治飯而自藜藿,名尊於實也。乳狗之噬虎也,伏雞之搏狸也,恩之所加,不量其力。使景曲者,形也;使響濁者,聲也。情泄者,中易測。華不時者,不可食也。蹠越者,或以舟,或以車,雖異路,所極一也。佳人不同體,美人不同面,而皆說於目;梨橘棘栗不同味,而皆調於口。人有盜而富者,富者未必盜;有廉而貧者,貧者未必廉。
新字:与死者同病,難為良医;与亡国同道,難与為謀。為客治飯而自藜藿,名尊於実也。乳狗之噬虎也,伏雞之搏狸也,恩之所加,不量其力。使景曲者,形也;使響濁者,声也。情泄者,中易測。華不時者,不可食也。蹠越者,或以舟,或以車,雖異路,所極一也。佳人不同体,美人不同面,而皆説於目;梨橘棘栗不同味,而皆調於口。人有盗而富者,富者未必盗;有廉而貧者,貧者未必廉。
書き下し
死者と病を同じくする者は、良醫と爲し難し。亡國と道を同じくする者は、與に謀を爲し難し。客の爲に飯を治めて自らは藜藿するは、名の實より尊ければなり。乳狗の虎を噬み、伏雞の狸を搏つは、恩の加わる所、其の力を量らざるなり。景をして曲がらしむる者は形なり。響をして濁らしむる者は聲なり。情の泄るる者は、中 測り易し。華の時ならざる者は、食らう可からざるなり。越に蹠る者は、或いは舟を以てし、或いは車を以てす。路を異にすと雖も、極まる所は一なり。佳人は體を同じくせず、美人は面を同じくせず。而れども皆な目に說ばる。梨・橘・棘・栗は味を同じくせず。而れども皆な口に調う。人に盜みて富む者有るも、富む者は未だ必ずしも盜まず。廉にして貧しき者有るも、貧しき者は未だ必ずしも廉ならず。
現代語訳
死んだ者と同じ病を抱えている者は、よい医者にはなれない。滅んだ国と同じやり方をしている者とは、ともに謀ることができない。客のために飯を整えて自分は粗末な菜を食うのは、名が実より重んじられるからである。子を持った犬が虎に噛みつき、卵を抱いた鶏が狸に立ち向かうのは、情のかかるところ、自分の力を量らないからである。影を曲げさせるのは形であり、響きを濁らせるのは声である。情がもれる者は、腹の中が測りやすい。季節はずれに咲いた花は、食えない。越へ行く者は、舟で行くこともあれば車で行くこともある。道は違っても、行き着くところは一つである。美しい人の姿は同じでなく、顔も同じでない。それでもみな目に喜ばれる。梨・橘・棗・栗は味が同じでない。それでもみな口に合う。盗んで富んだ者はいるが、富んだ者が必ず盗んだわけではない。清廉で貧しい者はいるが、貧しい者が必ず清廉なわけではない。
解説
この章句が説くこと
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